50題―23.甘い…5

 


「これは美味いのだぞ、諸葛亮」
小汚い卓の向かい側でにこにこと機嫌よく微笑む人に、諸葛亮は目を当てていた。
すこし行儀悪く脚を組んで椅子に深く腰掛けたさまははっきりいって態度がでかく、ちんまりと座った劉備とくらべるとどっちが主君なんだか分かりはしない。
諸葛亮はふわりと袖をさばくと、組んでいた脚をそろえ、正しい姿勢に腰掛け直した。
劉備がぷっと小さく噴き出すのを、見咎める。
「・・・なにか?」
「いや。偉そうだな・・と思ったのだ」
「・・・」
す・・・と細まった目に、劉備の笑みが大きくなる。
「はじめてそなたと会ったときのことを思い出していた。そなたときたら、声はやわらかで優しげであるのに、態度はでかくて偉そうでなぁ・・・視線もやたらと鋭かったし。音に聞こえた臥龍、天下の智者とはこんなものかと、私はびくびくしていたのだ」
「・・・」
「だから、劉備殿に従います、とそなたが平伏してきたときにはびっくりした。まさか膝を折るとは思ってなかったのだ。あんまりびっくりして、ぼーぜんと立ちすくんでしまった」
諸葛亮は手にもった肉まんを凝視した。
いくつに割ればもっとも効率よく食えるのかを計算しようとしたのだが、考えがまとまらない。
思えば、この肉まんの具がもし肉汁系だった場合、割ると手が汚れる。
とすればかぶりつくのが最も良い方法なのだが、口を開けるのがやや面倒である。
やはり食べるのはよそう、と結論が出たところで、劉備がにこにこと言った。
「冷めないうちに食うといい」
「・・・」
いえ、やめておきます、と言おうとして言うことができなかった。
好物をすげなく否定された劉備はしょぼんとするだろう。劉備がしょぼんとしたところでべつに心が痛むわけではないが、なんとなく腹がすいている気がする。
腹がすいている、ということに諸葛亮は少し驚いた。
めったに腹がすかないの性質なのだ。世の中の人間が朝昼晩の三食も食うことについて、疑問に思っていた。2食か1食で充分なのではないか、と。側近のものはそろってしつこく食事を摂ることを勧めてくるのがわずらわしくもあった。食うのは、面倒なのだ。咀嚼することも面倒くさいが、頭の働きがにぶるのもわずらわしい。
とりあえず、こくりと茶を飲む。
なにか旨い。
みるからに粗末な茶葉をつかっているのに。
茶で喉をうるおした諸葛亮は、渋面をつくって肉まんを手に取って、しぶしぶ口に入れた。
美味い。
美味いものを見つけてくることにかけて、劉備は天才であると認めざるをえない。
「それからな、はじめての同衾のとき」
なにを思い出したのか劉備は赤くなった。
「覚えているか。そなたを酔わせてしまって、私の寝所で寝かせたのだ・・・あれ以来、そなたは酔わないな。後にも先にもあの一度だけだ」
残念そうに劉備が息をつく。
「あの時のそなたは・・・それは、なんというか」
ぼぼぼっと劉備が赤くなる。
「・・・・・・なんとも、その可愛くてな。酔ったそなたからはじめて玄徳様と、呼ばれたときは私はもう、胸を締め付けられるような―――お、思えばあの時から、私はそなたが好きだったのだ」
―――つ、ついに言ってしまった・・・・・
耳まで赤くなった劉備はうつむく。どきどきして顔が上げられない。
「も、もちろん、あの時だけではない。それからそなたの知恵やらなんだかいろいろ、いろいろ、みるにつけ、私の想いはつのる一方で・・・・・わ、私は雲長も翼徳も、趙雲も皆が好きだ・・・・民も好きだ・・・だ、だ、だが・・・・そなたが好きなのは、それとは違うのだ。わたしはそなたを特別に好きなのだ・・・・・諸葛亮」
どきどきどきどきしながら諸葛亮の反応を待っていたのだが、いっこうに反応がない。
怒っているのか。呆れているか。それとも無視するつもりなのか。
あまりにも長い長い時間を真っ赤になってうつむいていた劉備は、ついに耐えきれずちらっと視線を上げた。
「諸葛亮!?」
顔をあげてびっくりした。
誰よりも賢くて威厳に満ちた寵臣が、肉まんをもったまま固まっていた。なまじ容貌が整っているために彫像のようだ・・・彫像なら彫像で飾っておきたいくらいなのだが、肉まんが異常なほどの違和感をかもし出してる。
「な、ど、どうしたのだ諸葛亮!肉まんが美味くてびっくりしたのか!?」
狼狽のあまり卓を蹴倒して勢いよくひしと抱きしめると、なんと寵臣の顔が赤くなった。
「ち、違いま――――」
げふ
劉備に飛びつかれてへんな体勢になった諸葛亮ののどの奥でへんな音がし、諸葛亮はげふげふと咽せだしてしまった。
「しっかりしろ、諸葛亮!」
「さわらないで下さい・・・・!」
よほど苦しいものか、諸葛亮の顔がますます赤い。異常な事態に劉備の狼狽が頂点に達する。
「そうだ、水を、水を飲むのだ、諸葛亮!」
「要りません。離れてください」
「馬鹿を申すな!放っておけるものか・・・!」
水差しからだばだばと湯呑みに水を注いだ劉備が湯呑みを差し出すのだが諸葛亮は袖で顔を覆って、まるで虫を追っ払うような仕草で劉備を拒絶する。さしもの劉備もこれにはかちんときた。
湯呑みの水をぐいっと一気にあおると、勢いまかせに諸葛亮にとびつき、いかめしい見かけのわりに細い身体を壁際に押しつけて、その唇におのれのそれを重ね合わせる。
ふぐ、とかなんとかいう音がして、劉備の口から水が彼の寵臣の口中へと注ぎこまれた。
ふおおおおおおお!
と、劉備は内心で叫んでいた。
諸葛亮の背は劉備よりも高い。そのせいで唇が重ねにくい。
すでに正常な判断力はかけらも残っていない劉備は、目をぎゅっと閉じて背伸びし、突っ込むようないきおいで寵臣の唇に自分のそれをさらに重ねようとして、おそろしい痛みに見舞われた。
いきおいあまったせいで、しかも目を閉じていたせいで、歯と歯がぶつかっていた。
「ちょっ、我が君!痛っ、痛いですよ・・・!」
衝撃にぱちっと目をあけると、諸葛亮が口を押さえてぼーぜんとしている。
「す、すまぬ、諸葛亮」
同じく劉備もぼーぜんとした。が、すぐに我にかえる。
「そなたが私より背が高いからいけないのだっ!!」
「な・・・・どんないいがかりですかっ」
「もう一度やらせてくれ・・・・!」
諸葛亮の襟首をひしと掴み、こんどは歯などぜったいに当たらないようにそぅっと唇を寄せた。
寵臣がなにか言ったようだが意味としては耳にはいらず、夢中で口づけた。
はじめての口づけはみかんのようだった。甘酸っぱくて、好物のうどんのようにやわらかくもある・・・脳裏に、出会ってからの諸葛亮が走馬灯のように駆けめぐる。出会った時の覇気ある態度、はじめて共に戦った戦・・・・羽扇のしなやかな動きと、その影に見え隠れするさまざまな表情・・・うやうやしい諸葛亮もいるし、そっけない諸葛亮もいる、ごくまれに見れる笑顔・・・・はじめての宴で酔ってしまった諸葛亮・・・・自分の隣でしずかな寝息を立てている諸葛亮・・・・・
両腕を伸ばして首に掻きついていた劉備は、はっと名案を思いついた。
「そうだ!立ってするから身長差が気になるのだ!諸葛亮、ちょっと横になれ!!」
返答を待たずに近くの卓に押し倒してのしかかり、おもうさま口づけを堪能する。

はふーーーーー!!
っと、満足の息を吐いた劉備は、はたと我にかえった。
ええええ・・・!!わぁあああ!私はなんてことを!!!
と、内心で絶叫する。
なんと劉備はいつの間にか諸葛亮を卓に押し付け、その身体の上にのしかかっていた。
上になると幾重にも重ねた文官衣におぼれそうになる。
衣装の波にあわあわした劉備は、あわててその身体から退こうとして、おもいっきり足をすべらせた。
「おわぁぁぁっ!!!」
商家の床はたいてい石造りであることを知っていた劉備は、とっさに腕の中の痩身を思い入り抱き寄せて身体をひねる。
「殿・・・・!!」
ガツンと派手な音がして、気が付くと劉備は石の床の上に伸びていた。後頭部がずきずき痛む。ぶつけたに違いない。
寵臣は無事に劉備の上にいた。諸葛亮を巻き込むことが避けられないと分かった劉備は、とっさに自分が下になるように転んだのだ。
「と、殿・・・・・なんということをなさるのです。臣をかばって自らが傷を負う君主など聞いたこともありません」
「いいのだ・・・私の頭なんてどうせ打ったところでたいして変わらぬ・・・そなたが無事で良かった、諸葛亮・・・・」
そうだ、諸葛亮が頭を打ってその頭脳にもしものことでもあったら、蜀のみならず戦乱の世の損失であるが、自分の頭なんてこれ以上悪くなんてならないだろう。
それよりも血相をかえた諸葛亮というものをめったに見れない劉備は、狼狽したその表情にふんわりとなった。頭は痛むがそんなこと気にならない幸福感につつまれてほわほわする。
床に転がったまま、両手を伸ばして白袍の肩を抱き寄せる。
「殿・・・」
なんの不思議か真昼の奇跡なのか、抵抗もなにもなくその身体が劉備の胸におさまった。
「諸葛亮・・・」
引かれ合うように顔が近づき、唇が触れあわんとした―――・・・・




ガラッッッ!!!!

「殿、今の音は―――!!」
「劉備、何事だ―――!?」

血相変えた猛将ふたりが扉を壊さん勢いで中を覗き込む。

ガラッ!

「劉備様、甘味を持ってきたが、――何の音さね」

熊面の親父がのっそり覗き込む。


「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」

5人は5人とも、それぞれに沈黙した。

「あ、」という形に口をあけてぽかんとした趙雲は、無言でバタンと扉を閉めた。
「い、」という形に口をあけてぽかんとした馬超は、ぼうっと突っ立ていたが扉の向こうから再び表れた趙雲に引っ張られて扉の向こうに姿を消した。

「う、」という形に口をあけてぽかんとした劉備は、ぽかんとしたままでいた。
「え、」という形に一瞬だけ口をあけた諸葛亮は、ぽかんとはしていなかったが呆然としていた。

「お、」という形に口をあけた親父は、まったく動じずに「甘味、置いときますぜ」と皿と匙を卓にのせるとのしのしと出て行った。


二人きりになり数十秒ほど沈黙した君臣は、どちらからともなくもそもそと起き上がった。
ごそごそと卓につき、甘味に口をつける。

「う、・・・・・・・美味いだろう、諸葛亮・・・」
「・・・・・・・・・・・・は、い。我が君・・・」
「・・・・・・・・・・あ、甘い・・な」
「・・・・・・・・・・は、い・・・・」

「食べ終えたら、か、帰ろうか、諸葛亮」
もごもごと白玉を噛みながら劉備が、上目遣いに覗き込む。
しかし今の劉備には、城までの距離が、月まで歩くのと同等の距離に思えた。
ので、言った。

「そ、それともどこかに泊まってゆくか?諸葛亮。その・・・この街は夜店もなかなか面白いのだ・・・わ、私はそれもそなたに見せたいのだが・・・」

言って目を伏せる。
どきどきが止まらない。
小豆煮はいつも美味いが、今日はとびきりに美味い。白玉も美味い。
今日こそ、、今日こそキメるぞ――――!
決意する劉備に、甘味はひたすらに甘く舌に絡んだのだった。

   
 









(2014/5/25)

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