50題―33.三角関係

 


出会いがしらの事故というものがある。出会った瞬間に起こる事故だ。
しずしずとつつがなく歩いていた諸葛孔明は廊下の角を曲がった瞬間にまさしくそのようなものに出会い、男の私室に連れ込まれたのだった。

男の私室は、城内のなかでも破格に広い。
物が無いからなおさら広く見える。物はあるのだが見るべきものがない。
片づいているというよりは殺風景な空間には、色彩というものがないのだ。
目にもあざやかな戦装束はいったいどこに仕舞ってあるものか。椅子と卓がないが、どこでものを食うのか。炉がなくては茶が沸かせない…のは、茶を飲まなければよいだけのことだが、寒い時期はどうするのか。というか、これで人間としてあたりまえの生活が営めるのか。
室内をひとおり見渡した軍師は、切れ長の黒眸を上げた。

「…ご用件を伺いましょう、馬超殿」

「まずは、脱げ」

「……」

「俺が脱がしても良いが、あまり無体なことはしたくない」

通り魔のような男だ…、と軍師はおもう。
いつどこであらわれてなにをしでかすかまるで見当がつかないから、避けるのがひどく難しい。


じっ…と己の白羽扇を見た。

(…これがげーむならば良いのだ。
 さすればこの扇からびーむが出て、不埒な男など一撃のもとにふっ飛ばしてやれるであろうに…)

稀代の軍師諸葛孔明、現実逃避した瞬間である。




「事情を伺いましょう。物事には筋道というものがあるはず」

思わせぶりに動かして論敵をけむに巻いたり表情を隠したり、隠すふりをして実は惹きつけたりと論議の場では非常に役に立つのだが、びーむが出ないという一点において、つまりはこの場においてはまったく役に立たないということが確定した扇でそよと風を動かせながら、話の流れを自分のほうに持っていこうと画策する。

「おおいに議論すれば、分かり合えることもある筈…」

どこかに居るもうひとりの自分は、真っ昼間から服を脱がなければならない筋道などあるとも思えないし、この男と議論などするだけ無駄だ、というたいそう聡明な意見を差し挟んでくるのだが、当事者のほうの孔明はそこまで醒めた気持ちにはなりがたい。

男は、さも腹立たしいといった様子で軍師を睨みつけた。

「しかたなかろう」

孔明はもちろん睨み返した。

「なにがどう仕方ないんですか。論理的に私に説明して御覧なさい!」

馬超はひどく獰猛な表情で、ぎりと音がしそうなほど軍師をねめつけた。

「趙雲のやつがぬかしたのだ。俺は、おまえの右肩にあるホクロが妙に色っぽい、と言ったのだ。そしたらあいつ、なんとぬかしたと思う。―――私は腰のくびれたところにあるやつのほうが気になりますけどね、とこうだぞ!」

口をすこし開けたまま瞬きをする軍師。馬超はうなり、大股でいっきに間合いを詰めた。
がし、と襟を掴まれる。珠の膚の貞操はもはや風前のともし火である。さすがに我にかえりじたばたと暴れる孔明に男が吼える。

「俺はおまえがそんなところにホクロをつくっていたとは知らなかった。俺がどれほど悔しい思いをしたか分かるか!」

「分かるものですか、そんなもの!大体ホクロってつくるもんじゃ、ありません!!いったい何がどうなったら子龍殿とそんな話になるんですか、信じられません!」

「なりゆきにきまっているだろうが!それになんだ、なぜ俺のことは'馬超殿'で、趙雲は'子龍殿'なのだ?そこの所を納得できるよう説明をしてみろ!」

「いったいどんななりゆきですか!それに子龍殿をあざなで呼ぶのは仕方ないでしょう。そう呼ばなければあの方は返事してくださらないんですから」

「流されるな!そこがあの男の策略だということが分からんのか!」

「策略とはなんですか、人聞きの悪い。私たちの友情をおとしめるのは許しませんよ」

「…友情、――ふぅん」

ふと手がゆるんだので、ぱっと身をひるがえそうとした孔明だが、そうはいかなかった。
なぜか不機嫌から一転してにやりと笑った男が、鼻歌でも歌いそうな上機嫌でぐいと襟を引いた。

「いいから、脱げ。とりあえず確かめる」
















後日のことである。
ごくごく内輪の酒宴の席で、酒瓶を持ち上げて劉備がぼそりとつぶやいた。
「腰のアレな。確かに気になるんだよなぁ」
杯を受けて、ぼそりと法正がつぶやいた。
「左の腕の肘の内側にあるものが…」
「えっ、そんなところにあったか?」
「袖で隠れていて、普段は見えないのです。見えそうでいて見えない。絶対に見えない…のですが、おそろしく時たま、ちらりと見えることが御座います」
「う…む。おぬしもなかなか…わしですら知らなかったというのに」
劉備がうなる。異才の政略家は、しらじらと酒杯に口をつけた。
「わたくしはあの御方にひどく嫌われておりますゆえ。正攻法ではいきませぬ」
あの方々とは違って…ね。
くいと飲み干す。
あまりにも性質が違いすぎるためにかえって気の合う主従が、おなじ方向を向いた。

そこにあった光景は、酒を飲ませようとする将と、絶対に飲ませまいとする将が、謹厳な黒袍をあいだに挟んで闘志をぶつけ合っているというものだった。

   
 







イイワケ
いや。なんかほら。趙雲って先生のホクロがどこにあるのなんてぜーんぶ知ってそうじゃないですか。


(2008/8/22)

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