なんだこれ。
目が覚めた趙雲はゆっくりと半身を起こした。
城内にあたえられた自室の、自分の寝台の、自分の隣に。
ものすごく場違いな綺麗なものが横たわっていた。
彼はうつぶせで寝ていて、顔だけこちらに向けている。
解いていない髪が頭部で寝乱れて、ひと房が頬と首を横切って敷布にまで流れていた。
普段は睫毛の先にまで叡智と理性が宿っている顔が、眸が閉じられているというだけで、あやういほど無防備に見える。
彼の寝顔を目にしたことは何度かある。
だが、自分の寝所に横たわっているとなると、なぜか、まったく別物に思えた。
なんで、ここに。
はっきりと覚醒しない頭で記憶をたどる。
賊の討伐に出たのだ。彼の命で。
やけに手ごたえがないと思ったら、大半は山野に散って隠れていた。
賊徒は夜になると大挙して襲ってきた。そうするうちに先に捕らえていた賊が脱走騒ぎを起こすやら、ついでとばかりに村落を襲ったりし始めたものだから、不眠不休で応酬せざるをえなくなった。
やっと帰城して報告をし、賊を牢に放り込み、被害のあった村落に復興の兵を送る手配などもしていたら、さすがに睡眠が不足して立っていられなくなり、自室の寝台の転がって、熟睡したのだ。
すると深夜――時間の感覚などなかったがおそらく、深夜――に、衛兵がこっそり起こしにきた。
曰く、
『ぐ、軍師さまが徘徊しておられて』
たぶん、自分は寝ながら「放っとけ」とこたえたとおもう。
彼がうろうろするなど珍しくもない。城外や庭の奥深くに消えたというなら別だが、回廊を歩いているくらい何だというのだ。見失ったというわけじゃなし。
だが、衛兵が泣きそうな声で言ったのだ。
『ですがですが趙雲様・・・・月に溶けて消えそうなんですよぅ、あの方は』
心地よい寝床で趙雲は唸りをあげた。
どこまで迷惑なんだ、あの軍師は。
趙雲が手ずから鍛え、戦場ではどのような劣勢にも屈しない兵を、このように他愛もなくうろたえさせて。
純朴な兵卒を惑わさないで欲しいものだと切に思う。
やっと目を開けた趙雲は、あたたかい寝床から起き上がった。寝乱れた着衣も髪も気にせず、寝台を降りる。
兵がさっと拱手して道をあけた。
半分以上寝ながら、趙雲は歩き出した。
月に溶けて消えそうだという兵卒の言はよく分かった。
彼にはたしかにそういうところがある。
それからどうしたのだったか。
寝かせる説得をするのも面倒で、自室に持ち帰ったのかもしれない。
そっけない趙雲の室に、暁光が差し込んでいる。
薄布ごしにはいる光のもと、彼は深海で眠る真珠のようだった。
額も頬も首すじも、粗末な敷布などよりもよほど白い。
男にしておくのは無駄だとしか思えない美貌は、すやすやと安らかな寝息を立てている。
頬から首にかけての匂い立つような白色、纏った衣に包まれた肩のまろやかな稜線、淡く色づいた唇が誘うようにすこしばかり開いている。
趙雲はまだ睡眠が足りず、この期におよんでもはっきりと目覚めていなかった。
頭の芯が痺れて、取りとめのない思考が茫洋と浮かぶ。
ただの護衛と同牀してこのような安堵した顔で眠るのならば。
恋人の閨ではどれほど甘い顔をみせるのか。
うるわしい雪白の膚はどのような色に染まるのだろう。どのような声で、―――・・・
ちょっと待て。自分にそんな趣味はない。これは男で、自軍の軍師だ。
趙雲はうなり、再び横たわる。
寝足りない。
寝台がきしみ隣が沈んだせいか、彼が「んん・・・」と声を発したが、起こる気配はなく、朝日を避けるように頭から寝布をかぶって潜ってしまった。
自分は非番だが、彼はそろそろ起きなければならない時間だろうなとぼんやり考え、まあいいか、と結論する。
主君から、言われたばかりだ。
孔明は仕事をしすぎる。あれでは長くもたんぞ、趙雲なんとかしてくれ、と。
「朝・・・?」
布団のなかからぼそぼそと声がする。
趙雲は夜中暑くて脇に放り出していた掛け布のもう一枚をとり、こんもりと盛り上がった隣のかたまりに掛け、埋めるようにした。
「今日は起きなくていいですから」
「そう・・・・ですか」
諸葛亮はわりと趙雲のいうことは素直に聞く。
出会った当初は、何故だ何でだといちいち説明を求めていたが、趙雲の判断が大雑把なところでだいたい理にかなっていると納得してからは、細かく確かめずに従うようになった。
信頼する主騎から寝てていいなんていう甘言を与えられた諸葛亮は、その誘惑に逆らうわけがなく、深く追求することも無くことりと眠りにおちた。
趙雲も睡夢に取り込まれる。
起きたら久しぶりに休みを取らせて遠駆けにでも行くのも悪くない。
龍の異名を持つせいなのかどうか、彼は水のある場所が好きだ。
深緑の森の泉にでも連れて行けば喜ぶだろう。
それは、なかなかに幸せな想像だった。
賊の対処に駈けずり回った徒労感など消えてしまった。
もう少し睡眠を補充すれば、完調だ。
護衛対象が隣に寝ているというのは、見失う面倒がなくて良いものだと、趙雲は朝日の中で目を閉じた。
(2014/6/15)
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