約束  趙孔(私設)

 


「趙将軍。軍師様が、あっちで座り込んで動かないんですが、なんか悩んでんじゃないですか。喧嘩でもしたんすかぁ〜」

「趙将軍。軍師様、むこうの隅で動いてないっすよ〜腹でも痛いんじゃ」

「趙将軍。軍師様がじっと地を見つめてるんですけど。すげえ知略とか出てきてるんですか、あれ。天下の大計ってやつ?」

「趙将軍。あそこに軍師様いましたよ。なんかうずくまって淋しそう。放っといていいんですか」




うるさい。





・・・・確かにいた。
座り込んでいるのは本当だ。動かないのも。

目立つ場所じゃない。邪魔になるような場所でもない。
なぜ、居るだけでそれだけの目撃証言があるかのほうが分からない。
目立つといえばそれまでなのだが。


「悩んでいる、腹が痛い、天下の大計を描いている、淋しい、――――どれですか」

背後から声をかけると、ゆったりと美しい顔が振り向いた。

「将軍・・・?調練中では?」

「休憩です。あなたこそ、執務中でしょうに」

「私も休憩ですよ・・・・実はあまり寝ておりません。気分転換にと、外に」

「寝ていたのですか」

地をじっと見つめていたはずではないのか。
目を開けて寝ているのだとしたら、ずいぶん器用だ。

「蟻の行列を見ておりました」

「・・・アリ」

「たいへん興味深くて。・・・時が経つのを忘れておりました」

「・・・・・・・」

草の合間に、蟻が行列をつくっている。
黒々としてずいぶん大きなアリだ。

趙雲はぐしゃぐしゃと手で後ろ髪を乱した。
うっとうしくなり、結いを解く。
汗に濡れた頭皮に風が吹きぬけるのが心地よかった。

髪を風に散らばして目を閉じる趙雲の様子に諸葛亮は目を細め、立ち上がる。

「あなたに付き合っていると、ハゲそうだ」

すこし癖のある髪を降ろした趙雲の男振りに見惚れていたのだが、その男が口を開いて吐いたのは、ずいぶんな台詞だった。

「・・・ハゲの遺伝子は主に母性から遺伝するそうですよ。父君がハゲでも希望を捨ててはいけません。むしろ、母方のおじ君や祖父君の頭髪に注目するのが、正しいハゲの遺伝の見分け方です」

「あいにく、幼くして郷里を離れましたもので。おじや祖父の頭髪など、覚えていません」

「―――将軍なら、ハゲても素敵な渋い中年におなりでしょう。大丈夫です」

「ハゲるのが前提なのは、止めてください」

「・・・でも、私と付き合っていると、・・・ハゲるのでしょう?・・・・では、ハゲないために、付き合いをやめますか」


言って諸葛亮はどうしようもなく、気落ちした。

「そうですよね・・・・なんといっても劉軍でもっとも女性にモテる、趙子龍の頭髪のことですものね・・・・・大事ですよね」

呆れた、という表情で黙りこくる趙雲の視線にも気づかず、肩を落とした諸葛亮が背を向ける。

「・・・執務に戻ります」

ふわふわとあやうい足取りで数歩進んだ諸葛亮が、足を止めた。
きびすを返し、すたすたと趙雲のほうまで歩んでくると、悲壮感と強い決意に満ち満ちた表情で、言った。

「・・・・いえ。諦めきれません。・・・・ハゲになりにくい食事やハゲに効く薬草を研究し、いつの日か必ずや将軍にご満足いただける育毛薬を発明いたしますので。・・・・どうか、・・・・・共に・・・・・いてください」

調練のため、おろした髪を元通り頭部でまとめた趙雲は、すこし下にある顔を見下ろし、言った。

「承知しました」

「・・・・そのように、即答してよろしいのですか。頭髪は大事ですよ」

肩をすくめて、調練場に向かい、歩き出す。

「目を離していられません。あなたを野放しにしておくほうが、ハゲそうだ。お側に、おります」

「本当に・・・?共に、いてくださいますか」

思わず声を上げると、さくさくと草を踏んで行ってしまいそうだった背が、振り返る。

解いた髪を風になびかせていた姿も野性的であったが、きちりとまとめた姿もまた凛々しい、と諸葛亮は思った。

「ええ」

今度こそ、去っていく。



広大な調練場に戻るやいなや、わっとばかりに群がった兵卒らに囲まれた姿を見送って、諸葛亮はふわりとその場にしゃがみこんだ。

先ほどまで眺めていた蟻の行列はまだ続いている。

どこから来て、どこに行くのか。不思議だった。とても興味深い。

ふところからこっそり菓子を取り出して、欠片を置いた。
菓子に当たった蟻は迷惑げに回避しようとしていたが、やがて、甘さに誘われ、集まり始めた。

その様を見ることなく諸葛亮は立ち上がり、彼の執務室へと歩みだした。
口もとに、抑え切れない笑みを浮かべながら。








非常にくだらない話題の応酬から生まれたものであったが。
これが。
のちに、死が二人を分かつまで、離れることのなかった将と軍師が、さいしょに交わした約束であった。

 










(2014/6/29)

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