いろいろと誤解です  趙孔(私設)

 


「主公」
「孔明か。どうした」
「夕餉と寝場所を恵んでくださいませんか?」
「なんと?」
やってきた寵臣を劉備は満面の笑みでむかえたが、破天荒な申し出に目を丸くする。
「むろん、かまわんがな。一宿一飯の礼には、何をくれる?わが軍師」
この上もなく美しい貌をした寵臣は、悪戯っぽい劉備の視線に、すこし困った顔になってしまった。
「さて、いかがいたしましょう。主公のお望みのままにと言いたいところですが。とっておきの秘策、天下三分の計はとうに授けてしまいましたし」
何かもう一言ふた言面白い軽口をと思案しかけた劉備は、しかし軍師の容貌にはっきりとあらわれた寝不足の証を目に留めてあっさりと折れた。
「冗談だ、そなたには儂の手に余るほどのものを授けてもらっておる。天下三分の政略だけで十分すぎるほどというに。―――飯と寝床というが、どうしたのだ?」
目の下にうっすらとついた隈を視線でたどる。
これは数日寝ておるまい。
果たして寵臣はなんということもないようにさらりと答えた。
「実は、ただいま整えようとしております法についての資料が寝台を埋め尽くしておりまして。眠る場所がないのです」
「おいおい」
知恵と知識において並ぶものない俊才である寵臣は、実に生真面目な完璧主義者でもある。
ひとつの事を決定するのに並々ならぬ下調べを行い、膨大な数の資料を丹念に辿っていくという彼のやりようは感嘆に値するにだが―――寝食をないがしろにして没頭するのは止めてもらいたい。

聞けば数日一睡もしておらぬという。
ものすごく眠いが、夕餉を食べたい。だけど食べるとその場で眠ってしまいそうだから、寝床のそばで食べたい、という合理的なのか滅茶苦茶なのかよく分からぬ要望を、寵臣は生真面目な面持ちにて言ってのける。

希望を叶えてやるべく近習に夕餉と寝所の支度を申し付けてから改めて座り直し、劉備は眉尻をへにゃりと寄せて向かいに座す寵臣に向き直った。
「無茶をするでない、孔明」
「いえ?まったく、無茶などしておりません」
言葉通りまったく無茶などしておりませんという澄ました顔色であるが、やはりというか双眸の輝きはにぶく、いつもの光がひらめくような虹彩の清冽はなりをひそめている。

消化に良いものをと気を利かせた近習のもってきた粥と鶏の蒸し物などつまみながらの会話も少なく、食事をする挙措はしっかりとしていながらも、意識はもう半分ほど眠っているような様子である。
品の良い淡朱の口を小さく開けてむぐむぐと少しずつ食物を摂取するさまがどことなく稚気めいていて――要するにすこし子どもっぽい感じがするのも、疲労ゆえに気を散じている証拠であろう。


飯と寝床をねだるなど普通に考えれば主君に対して無礼なふるまいではあるが、むろん、劉備はまったく気にしない。むしろ頼られているようで嬉しい。むちゃくちゃ嬉しい。ひゃっほうと小躍りしそうな嬉しさだ。

こりゃもう一刻も早く寝かしてやろうと温めた薄い酒などを用意してやりながら、はたと劉備は動きを止める。
この知性あふるる寵臣に頼られるのは嬉しい。夕餉の次は寝床を提供する段取りになっていて、従者にその用意もさせている。劉備の室であるのでもちろん劉備の寝床だ、つまり同衾だ。久しぶりの・・・
嬉しいが、あれ?

「なあ、孔明」
くるっと劉備は振り向き、熱めの、そして甘めの酒を軍師に差し出す。
「なんでしょうか、劉備様」
両手で受け取りながら、軍師は小さく微笑んだ。眠気が勝るのか無防備な笑みに、劉備はそわそわする。

「――――趙雲はどうした?」

そしてついに劉備は聞いた。
そうなのだ、同衾なんてどれだけぶりのことか。嬉しいが、ちょっと待て。
「趙雲殿?今宵は外出されているかと思いますが」
きょとんとした表情に劉備は身もだえそうになる。食事の時から思っていたが今宵の諸葛亮は、かなり、無防備だ。

趙雲はまったく得難い家臣である。臣というよりは仲間だし歴戦の戦友だしもっといえば家族みたいなものだ。
その趙雲とできている軍師と寝ていいのか??????
え?いや??いいのか?いいんだよな・・・?

劉備の迷いをよそに、熱燗の酒を飲み干した諸葛亮はいよいよ眠そうだ。
ごほんっと、無駄に空咳し、ほとんど減っていない自分の酒杯を枕もとに置いた劉備は「ね、寝るか」と上擦った声で言った。
「はい」
目を伏せた諸葛亮は「では失礼して」と言いながら自らの帯に手をかける。
ちょ、ちょっと待て諸葛亮。
劉備は内心でおののく。
脱ぐのか―――いや、脱ぐよなそりゃ。寝るんだもんな。寝衣になるよな。

ふおーーーという気になる。
そりゃあ容貌が白皙なのだからその他の肌も白いのはあたりまえだ。それにしたってどんだけ白いんだ。雪白の肌とはいうがつめたそうではなく体温も感じさせる白さで。
諸葛亮は簡素な白袍と重ねた内衣を落としたのみで、下衣はきちんと着たままだ。肌蹴ているわけでも透けているわけでもなく、喉もとが普段よりほんのすこし開いているというくらい――
というのに、どうにもくらくらしそうな光景である。

なんだこりゃ、あれだ。人妻の着替えをうっかり見ちゃった感じ・・・つーか何考えとるんだ玄徳、誰が人妻なんだ、阿呆。そんなわけあるか。

つーか、この寵臣ってば趙雲といっしょに寝てたりするんだよなぁ・・・・目が覚めたらあの男前が寝床に居るわけなんだよなぁ・・・・明日の朝、目覚めたら隣にわしがいるので良いのか??普段との落差にがっかりしないか?趙雲と比べられるとかわし無理だよ?顔の出来栄えからして差異がありすぎるのはまあしょうがないにしても、最近ちょっと腹のあたりがたるんできた気がするし、つか加齢臭とかして嫌われたらどうしよ。

それより夜中に趙雲が取り戻しに来たりして。
ふおー滾るな。そんなんなったらからかい倒してやるわ。
腕枕とかしちゃおうか?恋人がほかの男に腕枕されてたらさすがに趙雲も怒るだろ。嫉妬する趙雲とか面白すぎるだろ!!
どうでるんだろうかなあの男は。普段だったらありあまる忠誠をわしに向けてくれるんだがはてさて?
主君への忠誠と恋人への愛とのはざまで揺れる趙雲とか!!向こう3年くらい笑い倒せるネタだぞ!

まだ寝るには早い時間であるので先に諸葛亮だけ寝かせようと思っていた劉備だったが、気が変わってぱっぱと上着を脱ぎ捨てて夜着になり、いそいそと寝床にもぐりこんだ。
貧乏な軍団ゆえの薄っぺらい布団をめくってぽんぽんと隣を叩く。
諸葛亮がしずしずと隣に入ってくるのに、よーし腕枕だ!と満面の笑みで腕をさし伸ばしかけて固まった。

あ、いかん。近づきすぎると加齢臭が!

ここは直截に聞いてみるべきなんだろうかと劉備はつかのま迷った。がしかし、数日寝てなくて、やっとこさ寝床に入ったところに、「ねえもしかして儂ってくさい?加齢臭なんてあったりする?」と言い出す主君って滅茶苦茶面倒くさいだろう臣下的には。普通に考えて「はい臭いです」とか言うわけにもいかんだろうし。

涙をのんで腕枕はあきらめ、寵臣に伸ばそうとしていた片腕を自身の頭部の下に敷いて横向きに向かい合う。
狭くはない寝台であるが、寵臣との距離はやはり近い。

同じく横向きで劉備のほうに顔を向けて目を閉じている白い容貌をまじまじ見ると、徹夜続きであるというわりに荒んだ気配はない。
入浴は欠かさず身なりも繕っているのだろう、髪に乱れたところはなく肌の肌理も整っている。
ただよく見ると目の下に薄く隈が浮いていた。

美しい貌に浮いたそれがなんとも惜しく指を伸ばした。馬鹿げたことだが、指でこすったら取れて無くなってしまうのではないかと思ったのだ。

「主公」
「あ、うん、入れ」

寵臣はおそらく寝入ってしまっているだろうが、いまだ宵の口で劉備は眠くなかったので、扉の向こうからの声になかば無意識で返答した。
声を掛けたものが扉を開けて入室してはじめて劉備は顔を上げ、口を開けた。

「趙雲」
「はい」
落ち着き払った、それでいて飄然とした身のこなしで入室した武将はまるで当たり前のように歩いてきて寝台に目を落とした。
「今夜は外出してるんじゃなかったのか?」
「今戻ったところです」
言いながらも劉備には一瞥もくれず、その隣だけを注視している。
そのあまりな露骨さにたまげるような思いで劉備が見上げるなか、簡素な武装の篭手をした手がゆっくり上がり、くしくも、さきほど劉備が触れようとしてまだ触れていなかったところに指が伸びた。

劉備の軍師は睡眠を軽視する傾向にある分、一度寝てしまえばまったく起きない。
寝台は壁に沿って置かれ、劉備は奥の壁側に横たわっており、諸葛亮は劉備のほう、つまり壁側を向いている。その貌を覗き込むように趙雲は身をかがめた。
寝息さえ淡く気配少なく寝入る貌をしばし見つめ、目の下にある隈のあたりをすっと軽く撫でると、それで得心したというふうに武将は身を起こす。

驚きから立ち直った劉備は、なんとも面映ゆく笑いたいような気になり、
「おい、あんまりだな、趙雲。主君より軍師が大事か」
と手枕をしたまま冗談を言った。
世間一般ではな、主君のもとに臣である将がやってきたならば、ご機嫌を伺うなりの丁重な挨拶をするものだぞ、と笑い交じりになじった。
もちろん劉備は堅苦しい礼儀は好きではないし、ちっぽけな軍団である劉軍で大げさな作法など運用されてはいない。
それでもこれは露骨すぎる、と。

対してやっと劉備のほうを見た将はこともなげに言い切った。
「俺にご機嫌伺いなどをして欲しいのですか?主公がご機嫌で無かったことはないでしょうに」
「いやまあ、そうなんだけどな」

にべもない言葉に劉備はちょっとむくれた。
とっても残念だ。
見たところ趙雲はほかの男(主君だけど)の寝台にいる軍師を見ても動揺すらしていない。ふてぶてしいほど落ち着き払った普段通りだ。
嫉妬もしていなければ主君への忠誠と恋人への愛とのはざまで揺れてもいない――らしい。見たところは。
やっぱり強引にでも腕枕をしておくんだった!

まったく眠くない劉備は半身を起こし、飲みかけの酒杯に手を伸ばそうとして目算を誤り、酒杯を持ち損ねてしまった。

がらがらがしゃん、と金属の杯が転げ落ちて甲高い音が響き渡り、劉備はぎょっとして褥を見る。
幸いなことに寵臣の眠りは深く、寝息に乱れはないが、残っていた酒がどばーっと褥にこぼれて悲惨な状況である。

「劉備様!?」
「何事ですか…!?」
音を聞きつけたらしい側仕えと護衛武官が顔をのぞかせたので、そんな騒いだら軍師が起きるだろっ!と劉備はさらに焦って、武官らを睨みつけた。
「何でもない…!下がっておれ…っ」
つい怖い顔になり、声もひそめた低いものだったので、叱責されたと思ったのであろうか側仕えと武官はひぇっとばかり恐縮して下がっていく。

「いかんなこれは。寝具が酒びたしじゃないか。ん~~しょうがない、持って帰れ、趙雲」
熟睡している軍師をあごで指すと、将はわずかに眉を上げた。
「主公はどちらで休むのです?」
「わしか?別にどうにでもなるぞ」
軍師が居ないのなら寝具を替えさせてもいいし、奥さんのところへ行ってもいいし。


「――では、持って帰ります」
わずかに迷ったようでもあったが、酒びたしの寝具ではどうにもならぬと趙雲も思ったのか、軍師に手を伸ばし、持ち上げた。
「おやすみー。あ、趙雲。孔明は寝不足なようだ。今宵はおぬし、自制しろよ」
「分かっております」
すこし嫌そうに言い、さっさと出ていった。


もちろん明日になれば、「久しぶりに劉備様が軍師殿と同衾したが、趙将軍が取り戻しに現れ、一時は酒杯を投げつける修羅場になったが、最後には主公が度量を見せて譲った」というしょうもないウワサが流れるのだが、今のところ夜が更けつつある廊下は静かだ。

震動によってさすがに熟睡から意識が浮上し、諸葛亮はうっすらと目を開けた。
状況は分からぬが、荷物のように担がれて移動しているらしい。
「――趙将軍?」
「大事ありません。眠っていてください」
趙雲ははっきりした気性だ。ごまかしや気休めは言わない。
だから彼が大事ないと言ったら本当に大丈夫なのだと諸葛亮は知っている。ので、目を閉じた。
「麗麗ちゃんは元気でした?」
「北は、相変わらずのようです」
「曹操殿も性急なことですね」
趙雲は答えず、それきり口をつぐんだ。

歌姫の麗麗は、諸葛亮が使う間者だ。歌いながら各地を巡業して情報を集め、数か月に一度戻ってくる。
男前の趙雲に横恋慕しているという設定は、彼女のほうから言い出した。最初のきっかけはその通りだったので、不自然はない。
地方情勢を肌で感じ、庶民の酒場での噂話から地方豪族や官吏の宴での様子などを拾って帰ってくる歌姫のただのおしゃべりのような報告は、諸葛亮が時勢を知るのに役立っている。

だが麗麗の報告も危急のものはない。
劉備に「自制しろ」と言われるまでもなく、今宵はもう仕事をさせるつもりはない。

趙雲は当たり前のように軍師を自室に連れ帰った。
彼の室が、寝所に至るまで書やなにやらに埋もれていることは承知しているのだ。
新法が制定されるまでのことだと思うので、叱責はせずにいてやっている。強制的に休ませたいなら趙雲の私室に連れ帰れば良いことだし。

簡素な寝所に降ろすと、降ろされた軍師は不満げなうなりを上げた。
「寒い」
そりゃあ食事をさせて温めた酒まで用意した劉備のぬくぬくとした寝所に比べれば、趙雲の部屋は真っ暗で寒々としている。

亀のように布団に潜った軍師が、手だけを出してぽんぽんと敷布を叩いた。
いつもと変わらない時間を掛け、いつもと変わらない手順で武装を解いた趙雲が寝台に腰かけると、亀は甲羅から頭を出し、布団はきちんと律儀に半分が寄越される。
「もうすぐ新法もできるし、新兵器もできますからねー・・・楽しみにしてくださいねー・・・」
寝言としか思えない寝ぼけた声でつぶやかれて、少し息が出た。

寝ているときでさえ活動を続けているのかもしれない極上の頭脳に手を置いて静かに撫でると、喉をくすぐられた猫のように目を閉じている。
心地良さげな様子に自身も眠気を覚えた趙雲は、いささか早い時刻ながら横たわった。
布団にはいると当たり前ながら一人で寝るより温かい。

同じく暖を求めたのだろうか。同牀の軍師が本物の猫のように額を摺り寄せてくるのを感じながら、猫をなでるように黒髪を撫でつつ趙雲も目を閉じたのだった。

 







趙孔は真面目です基本仕事しかしてません。

(2016/10/14)

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