藍は青より-東雲(しののめ)  趙孔(私設)

 


「孔明」
目が覚めた。やさしく呼ぶ声によって。
真っ暗ではないけれど、まだ東の空が明るくなりかけたという時分だった。夜明け前独特のひんやりと冷えた空気と静けさが、居室を満たしている。
なぜ居るのだろうと思った。夕べは共寝しなかった。
「うなされていた」
彼が寝台に腰かけると、ずしゃりと具足が重い音を立てた。早朝から武装しているのは夜の警護に出ていたからだ。
手が、頬に触れる。武人らしい堅くて大きな手。手にさえも傷跡がある。脱ぐと、全身にあることを知っている。
「・・子龍どの」
「ん?」
「脱いでください」
「、――」
武人は目を細めてくっと笑いをかみ殺した。まるでやんちゃな猫を見るみたいな目に、私は口をへの字に曲げた。
「具足を脱いでください、早く。――あまり、時間がありません」
「脱ぐのは良いが。何をする気だ、孔明?」
笑みがますます大きくなって、面白そうにのぞき込んでくる。
至近で顔を合わせ、しばし言葉につまった。つまり、見惚れてしまって。もとより精悍な面立ちであるのだが、向かい合うと眼光の強い双眼がどこか艶めいていて、ことあるごとに目を奪われてしまう。

「寝台の上ですることなど、さほど多くはないでしょう?」
すこし悔しくて挑発的に首をかしげると、精悍な偉丈夫は目を伏せて軽く笑い、ゆるく首を振って立ち上がり、本当に具足を脱ぎ始めた。
重く強靭な鉄の連なりが落とされ藍色の武袍も脱ぐと、均整のとれた雄偉な武人の体躯を包むのは白錦の上下だけになる。
裾を引っ張って寝台に引きずり込むと、私の力でもちゃんと引きずり込まれてくれたが、揶揄うような表情は変わらない。
「さて、添い寝をご所望であられるのか?わが軍師は」
寝乱れた髪をやさしくまさぐられる。まるで子どもにするような仕草で。
「悪い夢を見たか」
「もう、黙っててください」
彼の口に自分のそれを重ね――ようとして失敗した。目を閉じるのが早すぎて目算を誤り、勢いがつきすぎて歯が当たった。痛いというほどでもなかったが失敗が格好悪くて私はムッとして、厚みのある強健な体躯をあおむけに押し倒してその上に乗り上げた。
目を開けたまま近づけると今度は上手くいって、武人の唇に自分のそれが重なる。子龍の手が腰に回った。少し前まで外にいたから、寝衣の上からでも手の冷たさが感じられた。そしてその強靭さも。

唇を重ね、吸っていると息があがった。
私は子龍の胸に手を付いていたが、襟の合わせをはだけて素肌に触れた。肩口には大きな傷あとがある。それにも指を這わせた。ゆるやかな官能がじわりとこみ上げてきて、腰がすこし震えた。
子龍は私の好きにさせていたが、背を引き寄せていた手がすこし下がって衣の上から腰を思わせぶりに撫でながら、笑いを含んだ声で言った。
「おい、孔明。どこまで、したい」
「・・・」
息が乱れているのは私だけ。押し倒しているのは私であるのに優位さはない。私の希望だけを聞く余裕と寛容が憎らしかった。
「・・余裕ですね。では、私だけを気持ちよくしてくださいとお願いしたら、その通りにしてくださるのですか?」
「は。――ははは」
一瞬息を詰まらせた子龍は噴き出すような感じで笑い出し、その悠然とした様子に私はまた口をゆがめた。
・・・本当は、さいしょに彼が言った通り添い寝だけで良かった。朝のひととき、体温を移し合って過ごすだけで良かったのに。
冗談ですとでも言って離れようとしたが、それより先に両肩を掴まれた。

「無論、その通りに。お前の望みは何でも叶えると、誓っただろうが。だが後悔するなよ、孔明」

宣言した声は余裕ではあったが寛容ではなかった。子龍は肉食の獣のような動きでゆっくりと身体を起こし、私の寝衣を肩から落とした。

首筋に唇を落とされ、鎖骨のかたちをたどるように舌を這わされ、胸の周りを舐めていく。とても入念に。片方の手は腰を支え、もう片方は背から腰までに稜線をなぞっていた。
執拗に乳首の周りをなぶるだけで肝心のところを避けた愛撫に、じわじわとくすぶるような快が生じる。
気持ちいい、でももどかしい。もっと強い刺激を求めて腰の奥底が疼いた。
「子、龍・・っ」
頭を振ると更に引き寄せられ、「どうされたい?」と耳元でささやかれる。その声と吐息に熱に浮かされたように理性がかすんだ。羞恥に焼き切れそうになりながら「・・舐めて欲し」とささやきを返すとふわりと体温が上がった気がした。
ゆっくりとじらすような動きで子龍の頭が胸に近づく。舌で触れらると身体がしびれた。
「あっ」
舌が乳首の周りを思わせぶりに一周し、直後に強く吸われて背筋が沿った。もう片方も指でいじられる刺激に見悶える。
「ぁ、・・ん・・っ」
「孔明。脚を、開け」
深みのある男らしい声でされる恥知らずの命令に思わず睨むと、まともに目を合わせてしまった。只でさえ見惚れる男振りであるのに、交情の最中になど見るものではない。
「開け。――良くしてやるから」
私は首を振って目を閉じたが、その動作とは逆に膝立ちにしていた脚を、ゆっくりと開いた。
裾が割れてひんやりとした空気が内股にあたるのが羞恥を呼んだ。開いた隙間に子龍の膝が入ってくる。
胸を唇と舌と手指でいじられながら中心を武人の膝でゆるやかに刺激され、あえぎながら背をそらした。
快感の震えも甘ったれたような喘声も止められなくて、子龍の体温を求めて手を伸ばしたが、それは遮られた。
え、と思う間もなく乳首を強く吸われてのけぞる。
肩を押されてどさりと寝台に仰向けに横たえさせられた。


背に触れる敷布は冷えていた。
ぬくもりが、彼の体温が遠ざかったことに、陶酔が覚めた。
分かっていた。こんな朝から最後までの情交はできないことが。
私だけを良くしろと言ったのだから、彼が自身の欲を追うわけはないことも。
もうあられもなく乱れていた裾をかき分けて手が入ってくる。頭部が下に下がったので、彼が何をするつもりか分かって焦った。
「ちょ、・・・まって、もう、明るいのに―――」
腰や内股を撫でた手が中心に向かって、衣が左右に広げられる。まだ朝日は射していないが、もう居室はしらじらと明るい。こんな中で何もかもをさらけ出して、私だけが慰められて高められる――
そんなの。子龍をつかって自慰をするみたいなことに何の意味があるんだろう。
欲しかったのはこんな独りよがりな快楽じゃない。体温が――子龍の体温が欲しかった。

子龍の言った通りになった。私は後悔した。
嫌だ、やっぱりやめる、と暴れた。さすがに子龍も眉を上げたが、べつに怒りもせずに私を離した。伸びあがって抱きつく。
「欲しかったのはこんな・・・与えられるだけの快楽じゃ、ない」
「お前が言ったんだろうが」
「子龍が、子龍が・・・欲しい」
それまでどこか飄然としていた子龍の気配が、変わった。
野性的な容貌が欲に翳って、うなりのような低音を発する。
だけど、言葉としてぼつりと発せられたのはそれでも理性を手放さない文言だった。
「――今からすると、お前が立てなくなる」
そんなことは承知している。馴らされようと男を受け入れるようにはできていない。早朝から情事にふければ政務に就くことは叶わないのは分かり切っている。
「そんなこと分かってますよ。でも。でも・・――何とかしてください、子龍」
丸投げである。でも、いいのだ。私は主公から政務を丸投げされているし、子龍だって軍事作戦立案については私に丸投げなのである。だから性行為についての事は私は子龍に丸投げだ。

子龍はもう一度獣のようにうなると、噛みつくみたいに口づけてきた。もう馴らされた子龍の口づけ――甘くてやさしくて、でも獣が獲物を食い荒らすみたいに激しい。
そのままもつれるように寝台に倒れ込んで、横向きにした私を背後から抱き込んで、ぐっと彼の腰を押し付けてきた。私は息を呑んだ。
「・・・子龍、・・・その、――勃ってる?」
は、と吐き出された息がうなじにあたった。
「――当たり前だろう」
当たり前なんだろうか。いつからそういう状態に?
「お前のも勃っているだろうが」
それこそ当たり前だと訴えると、子龍は背後で気配だけで笑った。
脚を覆う衣が取り払われて閉じた股の合間に熱いものが差し込まれる。私の中心に擦りつけられるそれを見はしなかったけれど何か分かって、かっと顔が熱くなった。
背後から射し込まれたのと自分の雄のもの同士がおかしな具合に重なり合った。もどかしい刺激だったけれど背後にぴったりとくっついた体温だけで快楽が全身を包みこむ。
子龍は性交の時のように腰を揺するのだが、挿れられていない分私の理性が残っていて、背後の彼の気配が胸に迫った。ひそめているけれども実は荒い息づかいだとか、吐き出される吐息に混じる男っぽいかすかな呻き声だとか。
くらくらしながら息を詰めていると、背後から伸びてきた手に私のものの先端を包まれた。
「あ・・っ」
きゅうと腰の奥がしびれるみたいな快感が襲ってきて喉から勝手に嬌声がでた。
「ふ、ぅあ・・あ、・・あ」
先端を包まれていじられて、しかも後ろから突かれるように揺すられている。はじめ熱さしか感じなかった股の間の皮膚が濡れてこすられて、ぞわぞわとする刺激に背筋が震えた。
揺さぶる子龍と同じ速さで中心を前から擦られて、強い快感が駆け抜けた。
「子龍・・気持ちい・・」
感じるままにあえぐと背後から抱かれる腕にぐっと力が籠った。もう羽交い絞めみたいに身動きが取れないくらい密着している。
「気持ち、いいのか?孔明」
気持ちいい、って・・?
男っぽい声が乱れているのも、うなじの薄い皮膚に荒い息が触れるのも、言い様のない刺激になって、身体の奥がずくんと疼いた。
「ん、気持ちいい・・・しりゅ、・・きもちいい」
「――――、」
低いうなりのようなものを発したあと、押し付けられたものの動きが乱暴なくらい激しくなった。
挿入されてこんなふうにされたら、きっと壊れてしまう。
「ぁん、っ・・・あっ・・あ」
もしかして・・いやもしかしなくても、子龍は私を抱くとき――その、本当に身体を交わらせて抱くとき、――すごく手加減をしているんじゃないか。

だけどその疑問よりも、昇り詰める感覚が切羽詰まったものになった。
「もう、いき、達きたい・・子龍」
けど、昇り詰めることはできなかった。射精をうながすというよりは堰き止めるというふうに子龍の手指が使われたから。ああ、子龍はまだなんだ。
「子龍も・・・、気持ちいい・・・?」
子龍がそれなりに興奮しているのは分かっていたから、きっと甘い答えが聞けるものと思っていた。が、――
「お前―――もう、黙れ」
後ろから強引にあごを取られて口づけられた。口づけされながら私は達し――ほどなくして子龍も終わったようだった。





しばらく余韻にひたっていたが、もう夜明けだった。先に身体を起こした子龍が衣を整え、元通りに具足を付ける。
私はまだ寝台で伏せていたが、渡された水を飲むために起き上がった。
「――それで、不機嫌の原因はなんだ、孔明。夢の中ででも、俺はお前になんぞ不埒でもしたのか」
「夢?・・いいえ」
そういえば、うなされていたんだっけ。夢なんてもう覚えていない。
この、朝の奇妙な情事の発端――私のわがままの原因は・・・
「じゃあなんだ」
「だって子龍殿が。・・・ずっと傍にいると誓ったくせに。一人で寝かせるから・・」
とんでもない暴言だということは承知している。
無二の主君に、それぞれの知勇を捧げてお仕えする将と軍師が。いつも一緒に居られるわけがない。そんなことは分かっているけど、―
「離れて寝るのはしょうがない・・・ですけど、――子龍殿は、平気そうだし、なんだか余裕だし――――・・・私はとても寂しいのに」
「――――お前、ほんとうにもう黙れ」
「どうしてです?」
私から弁舌を取ったら何が残るのだ。
「おそろしいな、お前は。これほど軍務に出たくないと思ったことは無い」
「私だって政務に行きたくないですよ」

劉備軍に限らず、この時代の文武の官の休日は五日に一度だ。出会った当初、まだ付き合いもなにもなかったころは子龍も私も休みなど一切取らずに働き続け、主君に怒られて二人まとめて城外に追いやられた。
なんだかはるかに遠い過去の事のようだ。


沈黙が積もったが、もう起きるのには遅いくらいの時刻で、私はのろのろと身体を起こした。
「次の休みは、――二日後か」
「そうでしたっけ」
「出かけるのと、寝台に篭るのと、どっちがいい、孔明?」
「私の希望を聞いてくださるのですか?」
「一応はな」
「どっちでもいいです。一緒に、いたい」

引き合うように互いに身を寄せ合って口づけた。
朝の鳥がけたたましく鳴くまでのあいだ、そうしていた。

その日、政務の途中で、ふと思った。
そういえば、出掛けるのと寝台と。二日後の私の運命はいったいどちらに転ぶのだろうか、と。
心構えがまったく違う。準備だって必要―――かもしれない。
気になってしまった私の視界の隅に、回廊を歩む姿の良い長身が映った。
鎧をまとい槍を持っている。向かう方向からしてこれから調練なのだろう。幸いにして彼は一人だった。
大丈夫だ、問いはたった一つ。十数秒で済む用事だ。互いの職務の邪魔をする心配はまったくない。
「子龍殿!」
私はぱっと駆け出した。


 







嫁のワガママの原因→新婚なのに一人寝が寂しかった。
新婚なのにもう米の身体開発されてるよね?と思った方、荊州時代はずっと新婚です多分。益州入りしてから熟年夫婦。
米は天下に冠絶する智者ですが、お付き合い及び性行為に関しては中学生並み・・・。



(2017/12/17)

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