手紙  趙孔(私設)

 




視察先の山道で竜胆が咲いていました。清らかな青色が将軍の槍の蒼房に似ておりまして、あなたをおもいました。
竜胆という名の由来は、薬にすると竜の肝のように苦いから、ということですが、竜の肝を舐めた人がいるのでしょうか、気になるところです。
あなたの肝を舐めたら、苦そうですね。





俺が死んだら肝だろうが勝手に舐めてくださいと言いたいところだが、あいにく死ぬつもりは全くありませんので、俺の肝はおあずけです、軍師。
よぼよぼの老人になったら俺の肝も甘くなるかもしれない。





よぼよぼの将軍を想像しようとしましたが、できませんでした。勇猛果敢な老将におなりになる…?今現在の凛々しいあなたの姿ばかりが浮かびます。
あなたと離れてよりあなたの存在を感じます。どうしておられないのか不思議におもうのです。傍にいてくださることが当たり前になっていたようですね。





俺も飯を食うたびにあなたがちゃんと食っているのか、とおもいます、軍師。
軍師に慣れていたので、文官たちの仕事ぶりがもどかしくてなりません。あなたが二人いれば良いのにとおもう。





私が二人おりましたら、あなたのところに行きたい。喜んであなたの仕事をお手伝いいたしましょう。
更にもう一人いたら、隆中の庵で毎日昼寝して、もう一人いたら旅に出たいですね。
食事はしておりますので、心配なさらないでください。
お悩みの案件はどのようなことでしょうか。





何人かの俺がいたら、旅に出る軍師の伴をしましょう。
案件はさまざまにありますが、まず民政が整っていない。戸籍簿と徴税簿が合致しないのです。俺にはお手上げです、軍師。





太守の職務はたいへんですね。本当に行って差し上げたいのですが。
帳簿が一致しないのは、汚職役人がいると疑ってまず間違いないでしょう。
役人を一堂にお集めになって、太守である将軍自ら物々しく武装されて佩剣され、今後の汚職は許さぬ、今すぐに改めるならば許すが、この先は見つけ次第わが剣の錆にしてくれよう、と大音声で宣言なさってください。将軍の武勇は有名ですし、清廉であることもすぐに知れるでしょう。
ほどなくしてよどみは正され、滞りなく流れるかと存じます。





武装し、剣を佩いてついでに槍も持って出て行ったら、それだけで腰を抜かした者がおりました。
みるからに怪しかったのだが、今回は軍師の忠告通り、咎めはしません。さっさと懲りて改めなければ、本当に剣の錆にします。
内政など俺には本当に向いていない。





軍師付き護衛中隊副長より趙将軍へ定期報告
1名が父親の急病により帰郷、1名が嫁の出産立ち合いのため一時離脱
代替要員2名を第4騎馬隊から引き抜いて補充
ほか異常なし

相談なんですが、軍師様はときどき書物読みながら寝ちまいます。あの人一旦寝ると起きやしねえし、趙将軍がいらっしゃればお呼びするだけなんですけど、どうすべきっすか。俺らが抱き上げて寝台にお運びしてもいいものですかね?





軍師付き護衛中隊隊長より趙将軍へ臨時報告
副長がしょうもない相談してすみません。お怒りにならんでください。
中隊で相談の上、全員一致で運ばないことに決定しました。
脳みそ揺れるくらい揺さぶってお起こしして、ご自分で寝台に歩いて行っていただいています。以上。





子龍、元気か。
俺ぁ大兄者とこんなに離れてんのは初めてでこたえてんぜ。淋しいんだ。
軍が大きくなるってのはいいことなんだがなぁ、これから先は大兄者とも小兄者とも離れて戦うんだろうかと思うとなあ・・嗚呼、酒も旨くねぇぜ。





張兄
桂陽の酒を送る。
こちらの酒は喉に染みるほど甘い。
これで無聊を慰めてくれ。





今夜は月が美しい。
桂花が咲いておりまして、室にいても薫りが届きます。
書物に書いてある通り、桂陽には金桂花の林があるのでしょうか?
昼間、城外の畑で採れた芋をたくさん民がもってきてくれました。城の庭で巨大な焚火をいたしまして、焼いて食べました。
文と一緒に芋をお送りします。





ありますよ、金桂花の林。何百本も植わっています。軍師がご覧になったら喜びそうだ。
桂花の酒を送り
桂花の菓子を送ります。





趙雲や、元気か。
太守の任、おぬしなら立派に務めておるであろうな。
わしは荊州牧になったが、政務は孔明に任せっきりだ。すまんな。
視察なんかに行くと、孔明はときおり横や後ろを振り返るのだ。何かを言いかけて周囲を見回すのだが、何も言わずに、前に向き直る。
あれは、おぬしを探しておるのだろうなあ。わしは切なくて年甲斐もなく胸がぎゅっとなってしまうぞ。
趙範が兄嫁をおぬしに見合わせようとしたらしいな。報を入った時の朝議の空気ったら無かったわ。場が凍り付いて、皆が皆おそるおそる、孔明の顔色をうかがってなあ。孔明ときたら冷静を装って、「趙将軍はお断りになるのでは?」と言っておったが、…いやはや、長江を逆流させて荊州南部を水に沈めましょう、などと言い出すんじゃないかと、わしはひやひやしたぞ。
次の伝令で、おぬしがきっぱり断ったという報が来た時は皆で胸を撫でおろしたものだ。
桂陽ってどんなところだ。象っていうのがいるなら、見てみたいものだ。





桂陽に象はおりません、主公。





主公のお手紙に、一行しか返信をお書きにならなかったそうですね。
趙雲に嫌われてしまったと主公がたいそう動揺しておられましたから、「逆ですよ、きっと主公のことを恋しく思われて、胸が詰まりお返事が書けなかったのでしょう」となだめておきました。
私も、あなたを恋しくおもいます。
何をするにも、あなたの姿を探してしまうのだから、こまったことです。





白状しましょう、軍師。
あなたの言うとおりだ。
主公のことも軍師のことも恋しくてたまらない。

はやく巴蜀を攻めてください、軍師。
主公と軍師に合流したら、もうお傍を離れないと、決めましたので。
官位も地位も要りません。どうか、傍に。





将軍からの書簡を拝見してうかつにも落涙してしまいました。主公も号泣なさいまして、わしも子龍が恋しゅうてならんぞ、あれがいないとだめだ、呼び戻そうとの仰せです。
郝普殿に太守として赴任していただきますので、趙将軍におかれましては急ぎご帰還ください。







「お会いしたかったです。どんなにあなたが恋しかったことか」
「俺も、です。不覚なことに。まことに不本意なのですが、何をしてもあなたを想っておりました」


「桂花の酒を送って下さらなかったのは、どうしてですか」
「それは――……俺のいないところで、あなたが酔うのが許せなかったのです、軍師」


 









(2024/9/8)

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