「ぁ・・・・・・・」
かすかな声とともに、孔明は酒杯を取り落とした。
杯の底に残った酒が、袍の膝にしたたり落ちる。

「酔ってしまったか」
さも楽しげに笑う主君に、孔明は頬を染め、眼を伏せた。

「・・・そのようでございます」
手巾をとりだしてぬぐう手つきさえおぼつかず、拭ったところで酒香がなくなりはしなかった。

「ふむ・・・・・・では寝所に行くか」
「・・・はい。そうしていただけると」

劉備に手を引かれ、いつものように寝室へと導かれかけた。

「・・・・・殿」
小走りでやってきた老侍従が、劉備に何事かを耳打ちをする。

「ぅうむ、・・・いや、今宵は・・・・・・ふむ、仕方ないな」
侍従の言葉に耳を貸していた劉備は、すこし迷ったそぶりを見せた後、頭を掻き、孔明に向いて苦笑した。

「すまぬが、どうも室が用があるそうだ。ちょっと行ってくる。今宵は別に休むとしよう」
「ご随意に」

一抹の寂しさを胸に抱きつつ、礼を取る。
室・・・・・奥方が呼んでいるという。無理もない・・・・・・劉軍に加わってからというもの、劉備は連日連夜孔明を放さず、夜毎語り合い同衾し、一度も奥に通っていない。

「趙雲」

劉備が、居室のほうに声をかけた。劉軍の武将であり、しばらくは孔明の護衛につくと紹介された人だ。
いつから居たものか、孔明は気付いていなかったが。

「孔明の居室まで、送ってやってくれ」
「承知しました」

部屋までの帰り道、無言だった。
もう何日も、劉備以外の誰とも、孔明は話をしていない。
それに話をしたい気分ではなかった。
歩むほどの酒精がまわり、意識がおぼろげになっていく。

居室に帰り着いた時には、足元さえ覚束なくなっていた。
「強くもないのに、なぜそのように飲むのです」
「ん・・・・・・・・」
袍を脱ぐのさえ億劫で、孔明は牀台に身を伏せた。
身体が熱い。
酒精にうるんだ息をこぼして、眼を閉じた。



そのまま酔夢にとらわれかけていた孔明は、しばらくして、なにか不安を感じて目を開けた。
着たままであった袍は床に落とされ、内衣が肌蹴られている。
夜気にさらされた膚に、触れるものがあった。

なにかが首をなで、鎖骨をすべり、すべらかな胸にある淡朱の尖りに行き着くと、そこを撫でさすった。
酔いの熱にうかされた孔明の身体が、ひくりと跳ね上がる。
「・・・・・ぁ」
「このようなところで感じますか、男の身で・・・」
「・・・な、――誰・・・」
「・・・・・趙子龍ですよ。あなたは、某の字など、覚えておられないでしょうが」
醒めきった声にやっと目をあけると、たしかに数日前につけられた護衛である。

「な、なに・・・・を」
「お分かりになりませんか。寝台の上ですることなど、たいして無いでしょうに」
「・・・、・・・ぁっ」
胸を尖ったところを親指で撫でさすられて、朦朧と喘ぐ。酔いに火照った身体を刺激され、くすぐったい。

「ずいぶんと感じやすい」
嘲るような口調で言われ、孔明の酔いと夢に漂いかけていた意識が引き戻された。
「や・・・・なぜ、?・・・・」
「別に。とくに意味など、ございませんが」
意味がないならやめて欲しいと孔明はかぶりを振った。
頑是無い子供のようなその仕草に、男は眉を上げ、冷たい口調で吐き捨てた。

「殿に、色目をつかわれては、困ります。奥方はまもなく産み月であられ、そうでなくとも陣営では、主公をたぶらかしてと、非難であふれている」
たぶらかして・・・・・・・?
「主公と・・・・そのような関係は」
ありません、と力なくつぶやくのに、上から押さえつける男は、鼻で嘲笑った。
「あなたが悪名をかぶるのはどうでもいいが、主公が悪く言われるのは、我慢できない。せっかくまとまった団結の強い陣営が、あなたのせいで瓦解しそうだ」
「・・・・・・・・」
・・・・・・嫌われているのは知っていた。
劉備以外のすべての将も兵も、孔明を見る目は冷たく、蔑みに満ちている。

「・・・・・男が欲しいのでしょうから、抱いて差し上げます。男を抱く趣味など無いが、・・・さいわい、あなたは美しい・・・某のものは充分、お役に立てそうだ」
「―――・・・・・・・」
孔明は刃物でえぐられたような痛みを受けた。
・・・・・・・たしかに・・・・・孔明は、女人に興味が持てない。
だからといって、男を好きなわけでもなかった。
主公のことは心から慕っている。だけど・・・・・・・・よこしまな思いを抱いたことなど一度も無かったのだ。
幾夜つづけて同衾しても、世の情勢のこと、未来のことを語っていただけで、みだらな雰囲気になったことさえ、一度もない。


酔いが失せ、孔明は蒼白になっていた。
「離してください」
もがこうとしても、下半身には男の体躯が乗り上げており、片方の手首は万力のような手に掴まれ押さえ込まれている。
「・・・・・男など、・・・欲しくありません。特に、あなたなど。趙子龍殿。字は覚えましたが、もう、あなたの護衛など要りません」
「―――某が、要らない?」
獣のように獰猛に、男が哂った。

「・・・・・・まだご自分の立場がお分かりではないようだ」
孔明の手首を掴んでいないほうの手で、趙雲は細身の背をなぞった。
「主公の寵愛を受ける嬖妾・・・・それがあなたの呼び名だ。そんな身で護衛なしで過ごせるとでも?・・・・その日のうちに将兵の餌食になりましょう。いくらあなたが淫らでも、幾人もの将兵に嬲られれば、ただでは済みますまい」

趙雲の言葉は、先々のどの言葉よりも孔明の胸をするどくえぐり、突き刺さった。
嬖・・・妾・・・・男娼だと・・・・?
それほど・・・・・・・・蔑まれているのか
陣営にいる見知らぬ幾千もの将兵にも。そしてこの男にも。

「離せ・・・・」
不自由な身体をよじり、孔明は空いた片手をせいいっぱい突っ張らせた。
「離せ・・・!離して・・・・っ」
「分からない方だ。すこしは快を感じていただこうと思っていたのに。それとも、無理やりがお好みなのか」
疎ましげに眉を寄せた趙雲に、うつぶせに引き倒される。

「嫌・・・!」
身体に引っかかっていた衣の裾を背までたくしあげられ、さらされた双丘のあいだに、ひやりとしたものを塗り篭められた。
「・・・・・・面倒なので、馴らしませんよ。慣れておられるでしょうから」

「ひ・・・・・っ」
狭隘な部分に、堅いものが押し当てられた。
「や、嫌・・・・・・・やめ・・・・・いや、っ・・・・・・やぁぁあ・・・・・!」
激痛による悲鳴は顔の下でぐしゃぐしゃと丸まっていた敷布に吸い込まれた。
溢れ出た涙も。

穿たれた部分から身が引き裂かれていく感覚に、抑えようも無く孔明は泣いた。
限界を越えた痛みに引き攣る肢体は、声もない絶叫を上げる。
凍りついたのどは、嗚咽のまじった短くかすれた悲鳴を上げ続けた。
「・・・・・・・・、・・・・・・・、・・・・・・」
正気でいることさえ難しい痛みと恐怖に意識は薄れ、虚ろに開いた眸から涙をあふれさせ。
苦痛を受ける箇所と、下肢からの律動のままに揺れる頬が敷布にこすれるのだけが、感覚のすべてになった。
絶望というのすら遠い。


とうに薄れ、苦痛をのみ感じて危うい均衡を保っていた意識の細い糸は、ずくり、と最奥にけがらわしい飛沫をかけられたとき、とうとう途切れた。







目が覚めたのは、三日後だった。
枕辺には誰もおらず、水差しにのばした手はそれを掴めず、床に落とした。
陶器が割れる音に、見知らぬ兵が血相変えて飛び込んで来、すぐに、孔明を犯した男が顔を見せた。
男は顔色がどこか悪かったが、憎悪をこめて睨みつけると、不遜な表情で眉を上げ、見詰め返した。


本人が云ったとおり、趙雲の守護は有効だった。
劉備が所要で樊城などに行って留守の時は、ぎらつく男たちの視線を強く感じたが、危険な目にあうことはなかった。

孔明はもう、陣営の誰かに好かれたいとは思わなかった。
仲間が欲しくて、出仕したのではない。
かなえたい、夢がある。
蔑み、卑猥な言葉をかけてくる輩に、刃物のような笑みを浮かべて黙らせるすべもすぐに、身につけた。


男を抱く趣味はないとほざいていたくせに、主騎はそのあとも孔明に手を出す。
いま、この世でいちばん嫌いな男は誰かと問われれば、孔明は冷ややかに微笑んでこたえるだろう。
趙子龍、と。

 










(2014/7/18)

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