「えっ、背が伸びる呪文!?おれ、知りたいです、教えてくださいっ」

「向学心のある良い子ですね・・・・・ですがいま問題にすべきはそこではありませんよ」

「あっ・・・・」

肩衣をつけた背は、廊下の曲りに消えてしまった。
開け放ったままだった執務室の扉を閉めて、諸葛亮は白い指をあごにあてた。

「陳震どの・・・さて。行政に興味があるということですが。これからどうしましょうか。差しあたってそうですね、戸籍簿の整理でも」

諸葛亮の脳裏にはすでに膨大な量の執務が展開されていた。だが、陳震はおどおどと、しかし切実に訴えた。

「もう・・・・・昼です、軍師様。ひ、昼餉を・・・食べましょう・・・!」

「・・・・・・・先に背を伸ばす呪文をお教えしましょうか」

「い、いえっそれはぜひあとで!呪文も知りたいですが、食べて伸ばしたいですっ」

「そうですね・・・均もその年頃には、馬のように食べてましたっけね。では、昼餉をもってきてもらいますか」

「食堂に行きませんか・・・?きっと、趙将軍も用事を済まされたらいらっしゃいます」

「陳震どのは、どちらの出身ですか」

「荊州南郡です。・・・・お呼び捨てください、軍師様」

「字はもうあるのでしょうか。そちらで呼んでも?」

「はい。孝起と」

「では、孝起。行きましょうか」

並んで食堂に向かって歩きだす。

「そういえば、将軍ときたら、南郡の情勢報告などひとつも言いませんでしたね、まったく・・・・・・」

「趙将軍のことですから、軍務にぬかりはないかと・・・・ですが軍師様の食事の件は、本当に怒っていました。無言なのですが、なんか、肩のあたりにこうじっとりと、怒りがわだかまってて」

「あの方、さいきん怒りっぽいし、ちょっと意地悪なのですよね。以前はそんなふうには思わなかったのですけど」

「うーーんおれたちにも、意外でした。なんか兄さんたち・・・や、古参の隊長たちはすごいにやにやしてましたけど。趙将軍って、軍務以外のたいていのことは、するーーと流されるんで、珍しいよなって」

「軍務以外では、淡泊ですよね」

「でも戦ではめちゃ熱いんですって。おれ、趙将軍の実戦には従軍したことないですけど。冷静なんだけどすごい熱いって、聞きました。馬術はすごいし槍遣いだって神業だって!騎馬だったら槍なんですけど剣もすごいんだって古参兵が。おれらみたいな雑魚兵には素手で相手してくれますけど、なんかもう・・・ぜんっぜん敵わないんです、当たり前ですけど!こう、向かって行くんですけど気が付いたら地面に転がっててあれえ?みたいな!5,6人で掛かっていたって同じなんですよ!?やっぱり気が付くと投げ飛ばされていてアレアレアレ??って感じです!」

「ふうん」
手振りを付けて力説するのがおかしく、諸葛亮は笑みをこぼす。

食堂に入ると、なぜか分からないがおおおーーと雄叫びが起こった。
昼餉が運ばれてくると、ますますなぜか分からないが、拍手が起こった。

要領が良さそうにも見える陳震であるが、律儀にきっちりと諸葛亮と同じものを、同じ量だけ盛ってもらっている。

「軍師様っ、この、木の実はすごい美味いんです!それにそれに何と言いましてもこの、この骨付き肉!!骨にくっついたところの肉がすごい、すごい旨くて・・・っ!」

諸葛亮には余計と思われるものを勧めるのに切実に必死だ。
諸葛亮はすでに満腹、いつもの倍ほど食べていたが、少年が必死なので、まだ箸を置かずにいた。

「すごいすごいと叫ぶのも結構ですが、語彙を増やしなさい、孝起。的確な修辞で私を説得できたら、食べるかもしれません」

「え、・・・・・あー・・・・この肉はぁーえー・・・骨の周りの肉がえもいわれる滋味にあふれ、・・・それで噛むとえー、じわじわと、豊かな肉汁が滲み出し・・・」

「えもいわれぬ、でしょう」

諸葛亮はしぶしぶ肉を口に入れた。獣肉を食べるのなど久しぶりだ。
もくもくと咀嚼していると、かたりと床がきしんで隣に誰か座った。
見ると誰あろう、趙子龍である。
先ほどの完全な武者姿と違って、簡易な武袍の上にこれまた簡易な帷子をつけた、略式の武装に替えている。

「こんなに満腹では、午後から執務ができそうにありません」

「陳震、お前、空腹と執務とどっちがいい?」

「執務ですっ」

「だ、そうです。陳震にやらせてください」

趙雲が飯を食い始めた。これみよがしな大盛りをもりもり食っている。諸葛亮は頬杖をついた。

「俺も、午後から軍師府に行きます。南郡の報告をしに」

「さっき、忘れてたでしょ」

「忘れては、おりません。優先すべきことがあったので後回しにしたまでです」

「軍務を優先ですか・・・・別に、かまいませんけどね。私への報告が後回しでも」

諸葛亮はふてくされて目を閉じた。満腹すぎて動けない、動きたくない。このまま昼寝でもしたい気分だ。
武人と逆隣では、陳震がきょとんとしている。周りでは兵卒たちが、年若いものはきょとんとし、古株の年長者はこれ以上なくにやにやしている。

「え・・・っと・・・」
陳震は、口ごもる。
どう考えても将軍は軍師様を最優先して、重々しい軍装も解かず軍師府にすっ飛んでいったのだが。
言ったほうがいいのかなぁと将軍のほうをちらっと見たが、将軍は常のようにひどく男前の無表情で、とくに反応はない。

陳震は今日の昼までは同僚だった兵卒たちと視線を交わし合い、ひとつうなずいて、黙ったまま、軍師様が食べたので食べることが許された、骨付き肉を口に入れた。

「えーと、おれって、趙将軍配下のままですか?それとも軍師様が上司なんですか」

自分の立ち位置は気になるところだ。文官か武官かの分かれ道でもある。陳震はどっちにも興味があり、今のところ選べない。

「しばらくは俺の配下のままだ」

「ってことは、私の護衛武官兼、行政見習いってところですか」
目を閉じたまま軍師が口を挟んだ。

「そのほうが自由に学べて、孝起にとっていいでしょね。文官は序列にうるさいですから」

「武官のほうも、序列にはうるさい。命を預けるのだからな」

「文官のねちっこい縄張り争いとはまた違って、熾烈なんでしょうね」

「武や統率の実力は誰の目にも明らかに見えるものだからな。確執はあまりない」

「うらやましいですね・・・文官の実力は多岐に渡って。優劣がつけにくい上に好き嫌いが分かれて、すぐ派閥化します」

飯を食い終わった将軍と、頬杖をついて目を閉じたままの軍師の会話はなめらかに進む。

できてる、と広く軍内に認知されている将軍と軍師である。
いまもやけに仲良さげであるのだが、交わしている会話はしごく真面目でまっとうだ。
ふぅん、仕事のできる大人同士の組合せってこんなんなんだ、さすがだなぁっ・・・・・・!
陳震はちょっとだけ大人の世界に触れた気がしてどきどきした。

 










(2014/7/12)

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