きしりと牀が揺れる音に、孔明は目を開けた。
とうてい安眠などえられまい、と思っていたのだが、どうやら眠っていたらしい。
いや、眠るという安らいだものではなく。
おそらく、気絶したような意識の失い方だったのだろう。

物音を立てないようにしているらしい男は静かに寝台を降り、寝衣にしていた単衣を落とした。
鍛錬によって鍛えられた背は広く隆々としており、息をのむほどに傷が多い。
音に聞こえたこの軍人―――趙雲子龍という武人は、苛烈な陣営の中にあってさえ、常に、最も過酷な最前線で馬を駆る。

彼は簡素な武着を身にまとい、袖が広がらぬようにか、手首には衣服の上から堅そうな布を巻きつけていた。
ふと気付いたように、ゆったりとした挙措で寝台に振り向く。

「・・・軍師殿。起こしてしまいましたか」

孔明は顔をそむけた。
この男の顔など見たくもないし、寝起きの顔を見られたくもない。

寝具を引きかぶろうとして、自分も寝衣を着ていることに気付く。
着た覚えがないから、趙雲が着せたのだろう。
そして・・・・・・・・奥処の濡れた感触も消えている。
意識の無い身体をまさぐられ、あらぬところを清められたのかと思うと、震えるほどの屈辱が沸いてくる。

寝台に近づく気配に息を詰めていると、寝具を掛け直された。

「朝の鍛錬に行ってまいります。・・・・今朝は朝議をおこなわぬ筈。もうすこし、お休みください」

朝議がないことくらい分かっている。
それがないから、夕べ抱いたのだろうに。

それに、なにが朝議か。
劉軍の朝議は、協議ではなくただの怒鳴りあいか、あるいは馴れ合った雑談しかない。
猥雑でとりとめがなく、終わったあとはしばしば、朝から酒になる。

「・・・・・・」

孔明は布団を剥ぎ、身を起こした。
腰に泥を詰め込まれたかのような重さと、背まで貫く鈍痛があるのを無視して、牀の下に揃えられていた沓に足を入れて、立ち上がる。


劉表の病が篤い。
その死によって荊州はがらりと変わるだろう。
劉表には母の異なる二人の子があり、跡目争いが起こることは明白だった。


「・・・・・・・朝の鍛錬は中止にしてください。伴を。荊州南郡の部族に、会いに行きます」

口早に言って孔明は、はらわたが煮えるほど嫌いな男に背を向け、盥を引き寄せ、洗面をはじめる。
それでいいかと、彼の都合を確認するつもりはなかった。
反論など、許さない。

すこしでも気が引き立つようにと晴れやかな色合いの内衣をえらび、重厚な趣の長袍をまとう。
髪を結い衣服が整って、鏡から眼をはなしたとき、背後から何かを肩に掛けられた。

「外は、いまだ冷えますゆえ――」

厚手の布を織った外套だった。
そのまま包み込むようにゆるやかに、向かい合うかたちに身体の向きを変えられる。

「・・・・・荊州南部は、長江沿いの気の荒い豪族たちとまた違った、扱いづらさがあります。揚州の息のかかった部族も多い。・・・・油断の、なきよう」

壊れやすいものでもあつかうようなやり方でそっと触れ、言葉遣いも静かなものだ。
外套の紐を結ぶ手つきも丁重で、顔つきもまた、精悍な中にも重みのある沈着さが感じられる。

端から見れば非の打ちどころなき誠実な主騎―――

この男が夜になると牙を剥き、護衛の対象となる者を喰らうなどと、だれが想像するだろう。
自分だとて・・・・思ってもみなかった・・・・・。

 










(2014/7/13)

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