遠征から帰還した一軍がぞろぞろと城門をくぐる。
勝利であったと、すでに伝令が報告していた。
戦力の差からいって勝つのは難しい戦であったのにもかかわらず、稀にみる大勝利であった、と。
「火攻めであったとか」
「戦場はそれは悲惨であったというぞ」
「大きな声では言えぬが・・・味方も火にまかれて犠牲者が出たとか」
「味方の火で焼け死ぬなど。・・なんとも嫌な死に方であるよな」
文官たちのささやき声を肩越しに聞き、法正は口元をゆがめた。一歩前に立つ劉備が、肩を震わせる。
噂話を裏付けるかのように、帰還した兵たちの衣服の傷みようは普通ではなかった。火計の烈しさを物語るように煤にまみれて黒ずみ、あるいは焼け焦げて襤褸のようになっている者も少なくない。
激戦の生々しい証拠を身にまといながら、雑兵たちの表情は故郷の土を踏みしめたという安堵にあふれている。
騎乗した将校格には、安堵に加えて戦に勝利したという誇りが浮かび、薄汚れた格好ではあっても表情は暗くはない。
いよいよ軍の主力、名のある将たちが城門から姿を見せ始めると、さすがに文官たちもおしゃべりをやめ姿勢を正す。
「・・・・・っ」
劉備が一歩を踏み出し、拳を握り締めたのを法正は見た。劉備は最前列にいて、その表情は誰にも見えない。だが、その顔が泣きそうに歪んでいることを、握った拳の震えが示していた。
帰還する軍の最後列は、諸葛亮と星彩、趙雲、魏延の軍だ。4人の将はそれぞれの側近を背後に従え、並んで馬を歩ませて兵たちの最前列まで進むと、宮城の張り出した露台にたたずむ劉備の姿をみとめて馬から降り、そして揃って拱手の礼を取った。
静かに、おそろしいほど静かに。
劉備が、無理をしていると一目で分かる笑みを浮かべる。
「ご苦労であったな。こたびの戦勝、めでたいことだ…!疲れたであろう、兵も将もまずはゆっくり休養を取り、後日、宴でも開くとしよう」
4人の将はゆっくりと上を見上げた。代表して諸葛亮が口を開く。
「お言葉、ありがたく」
ついで、ついと後ろを振り返り、笑み一つない無表情で手を、すっと上げる。合わせて劉備も片方の手を上げる。
法正はじめ迎える側の文武の臣たちは、片方の手を胸に当てて目を伏せる礼を取った。
オオオオ―――・・・・!
帰還した兵が一斉に矛を掲げる。
雄叫びが夕暮れの空に木霊した。
戦勝の喜びと凱旋の誉れ。それ以上の哀切、慟哭。
それは、故郷への帰還が叶わなかった、敵地で葬られもせず今も屍をさらしているであろう死者への弔いであった。
戦後の処理や帰還した傷病兵などの対応に追われてごったがえす城内で、政務を執り行う高官として雑務に奔走した法正は、宮城の奥の庭園を、ゆっくりと横切っていた。
夜は、嫌いではない。
たいていの愉しみは夜にある。夜が更けるほど仕事がはかどり、こと悪だくみを巡らすのは夜に限る。独りで酒を飲むのも、誰かと密談するのも夜だ。
時刻はすでに深夜。蒼白い月が宙に浮かんでいる。
宮城のかがり火も届かない夜闇の中、冷えた風と静寂が夜の庭園を満たす。
決済を待つ事案が山積みだというのに、この戦に関係する者が誰ひとりとして捕まらない。
劉備も、諸葛亮も。趙雲も魏延も。どこで何をしているのか姿が見えない。唯一、星彩だけは所在が分かったが、彼女に軍政の裁量権が無いことは明白だった。
決済が進まず片付かない山積みの案件に苛立ちながら、執務室に戻るところだった。
ぱしゃん――とひそやかな水音がした。
成都城の広大な庭にはいくつかの水辺がある。音がしたのは奥まった場所にある、山からの伏流が湧き出した池からだった。
水辺の周りに植わった樹木の黒い影が、不気味に見えなくもない。うら寂しい風が樹木をざわざわと不穏に揺らしていた。
水に何かがいた。
魚のようなものではない。もっと大きな。
東海には海人魚という、人と魚の特長を併せ持つ生物が棲むというが。
「・・・まさかな」
皮肉げに口を歪めた法正は、持った竹簡で肩を叩いた。
書物によると、人魚は人と同じほどの身の丈で、容姿はたいそう美しく、髪は馬の尾のように豊かで、身体には煌めく鱗を持つという・・・
「な―――、」
水中から出てきたものを目に入れて、不敵な法正すらも息を飲んだ。
確かに馬の尾のように豊かな髪があった。
それはゆらりと水中で立ち上がった。おどろに乱れた髪からぼたぼたと水が落ちさせつつ、ゆっくりと岸辺へと向かう。
その動きは人魚ではない。鱗はなく、半身が魚であるということもない。――人だ。
馬鹿げている。
すでに晩秋である。
凍りつくというほどではないにいても、夜気は寒々として心身を冷やす。
まして、水に入るなど。
全身から水滴を滴らせたそのものは、物憂げに腕を上げ、貼りつく髪をかき上げ後ろに流した。
秀でた額、冷たいほどに整った白い面貌――
臥竜とはいうが。まさか本物の龍だったのか。
数瞬後には、自分の馬鹿げた思い付きが気持ち悪くて舌を鳴らし、ぺっと草むらに唾を吐き捨てる。
魚でも人魚でも竜でもなく只の人で、しかもそれが諸葛亮だと分かって、法正は腹が煮えた。
戦後の処理も放り出して、何を悠長に。
「ああ、諸葛亮殿」
竹簡をもてあそびながら水辺に近寄り、毒を含んだ口調で嫌味を口にした。
「入水自殺でもしようとして、失敗しましたか?」
相手からすると闇から突然に法正の声が響いたはずだ。しかし小癪なことに彼は驚きもせず、なにひとつ動じることはなく返答をした。
「・・・いいえ。死ぬことは、考えてはおりませんでした」
常と変わらない、落ち着き払った静かな声音。
法正はふんと鼻を鳴らす。
「そうでしょうな。こんな所で自死などしたら、おれはあんたを許さない」
不本意ではあったが、法正は池の中にたたずむ彼に、手を差し伸べた。その手を彼は少し不思議そうに眺める。
「いつまでそんなところにいる気なんですか…死にますよ、あんた」
「私に、手を貸すのですか」
「ま、不本意ながら?」
冷笑をこぼすと、髪からも全身からも凍えるような冷水を滴らせながら、彼は静かに法正の伸べた手を掴んだ。
結構、重い。
ずしりと腕にかかる重みが意外で、片目をすがめる。成人の男としては当然の重みなのだが、当たり前の重さを持つことが意外だと思わせるような存在が、この男だ。
法正は力を篭めて彼を水から引きずりあげた。
月が似合う男だと、誰かが言っていた。宴の折だったか。
陽の光の中では叡智に艶光る双眸が、月明かりの下では淡い琥珀のような色に翳るのだという。
水中から岸に上がった臥竜の双眸はまさしくそのような色をしていた。普段から不健康そうな膚はうすら寒いほど白々として月光に沈み、伏せた双眼は淡く翳っている。
顔色は病的に蒼白く、波打つような微かな震えが全身を取り巻いている。
芯から冷え切っているらしいのに、色のない唇は、それでも冷静に言葉をつむいだ。
「・・・あなたにこのような貸しをつくってしまっては。どういたしましょうか、返せる気が、致しません」
「返して、頂きますよ。今すぐにでも」
月光のもとで淡く翳る琥珀の瞳に、己の姿が映りこんでいる。臥竜の瞳の中の己は、どこまでも白い彼とは真逆に黒い影のように見えた。黒い影は、悪い笑みを浮かべた。
おかしいくらいに抵抗なく押し倒せた。
乗り上げてもまるで手ごたえというものがない。水のしたたる身体は確かにあるというのに、天上で冷たく輝く皓月のように遠い。
水気を含んだ白と緑の衣装をくつろげると、ようやく気が付いたというようにぼんやりと見上げてくる。散漫な意識をすくいあげるように強引に、口唇を重ねた。
男のようではない柔らかさ。冷静で合理的でつまらない正論ばかりを吐く男の唇は、こんななのか。見かけも考え方も硬質で怜悧なこの男にもやわらかい部分があるのか。
遠慮なく舌を突っ込んで口腔をまさぐり、歯茎を舐めて舌同士をからめると、ぬめりのある水音が生じた。口唇は冷え切っていて口内もまた冷たい。閉じられないように口を重ねていると、どちらのものか分からない唾液が彼の硬質な肌を濡らした。
ほんの気まぐれではじめた行為。しかし存外に興が乗り、止めようとはおもわない。悪趣味だなと自分でも思うが、まあ、大したことではない。
月がしらじらとあかるい。
月明かりの夜闇に諸葛亮の容貌はにじむようにしろく見えていた。
薄くひらいていた双眸は、舌をつよく絡めるとひそめた眉の下で閉じられた。
「ん・・・」
あえかなうめきが、こぼれ落ちる。
たいした反応ではないとはいえ、いつもの彼の声音ではない高さに、法正は思わず鼻を鳴らした。
深く重ねていた口付けを解き、舌で首もとをねっとりと辿り、喉仏を舐めてやる。快感なのかそれとも急所への怖れなのかひくりと身じろぐので、首につけ根にかるく噛みつくと、彼ははじめて感情を見せた。
「・・痕は、残さないでください」
「見える場所ではありませんがね。それとも、見られて困るお相手でも?」
「・・・いいえ」
それきり、好きにしろとでもいうように目を伏せるので、無言の受容ととらえて好きにする。首筋を舐め、たわむれに歯を立てた。
白い肌にやわらかみはない。硬質に張りつめた皮膚にたやすく痕は残らない。おもわず強く噛むと、すこし不快気に身を動かす。噛んだところをべろりと舐めると、臥竜は眉をしかめて息を吐いた。
まぎれもない男の身体は、いまだつめたく湿っている。だが体躯の凍えるような冷えは去っており、濡れた衣装の下をまさぐると体温をもつ皮膚の感触があった。
のしかかり、鎖骨に舌を這わせながら薄い皮膚をさぐっていく。
複雑な衣装に飾られた帯を解き放つと、彼ははかなげな吐息をついた。
濡れた肌にずるりと手が滑り、腿を抱え直す。
抱え直した腿をより大きく淫猥に開かせ、さらに突き込んだ。
法正の雄が押し込まれた窄まりはつつましく、狭い。狭いゆえに怒張した雄を窮屈な肉の中に沈み込ませると強く収縮して絡みつくのが心地よい。きつく締め付ける粘膜に包まれる恍惚と快楽が背筋を奔走し脳芯に染みわたる。
狭い場所を押し広げるように侵入し深く貫くと、抱え込んだ腿が痙攣し、白いのどが反る。
「あ、あ、…っん…」
「思いのほか可愛らしい声を出されるものですね…、諸葛亮殿」
大量の水を含んでずっしりと重い表袍を取り去ると、内衣もまた白かった。肌も白く衣もまた白く、冷える夜気とあいまって白い玉石で造られた彫像でも抱こうとしているような気分になった。
もとより水と油のように相容れない相手だ。
それがこうも愉しめるとは。
濡れた肌にはりつく薄衣が透けるのが淫猥で、ことに乳首が濡れた肌着を押し上げているのが妄りがましい。
薄ら笑いに口元を歪めて襟から手を差し入れて小さな朱粒を弄ると、つんと立ち上がる。
尖った先端をまさぐり、身体を曲げるようにしてそこに口をつけると、挿入ったものの角度が変わったことで彼が喘声を上げた。
そのまま腰を動かすと、組み敷いた相手は首をすくめるように身をよじり、指先で草むらを掻く。
冷風を受けている筈が寒くはない。熱が脊髄を駆けあがり、互いの肌を濡らしているのは池の冷水なのか汗なのかもう分からない。
奥まで挿入して揺するとひときわ高い声が上がって、思わず抽挿を深くした。繋がった部分から響く淫らな水音。薄い身体がもがくように身悶え、抱え込んだ片方の足が震える。
「ぅ……ぁあ、あ…!」
細い背がしなり、絵師が丹念に描いたような繊麗な眉が寄った。
「――ああ。達されますか?」
自身も十分な官能を堪能しながら腰を揺らす。抱えた腿を肩につくほど広げさせて圧し掛かり、みだらな水音を立てる内壁から引き抜き、また濃厚に深みを抉る。
内壁がぎゅっと締まるのを逃さないように奥をぐっと突きあげることを繰り返すと、尾を引くような高い喘声があがって、彼の体に緊張が走った。
跳ねる白い肢体を押さえこんで、絶頂に痙攣する内壁を堪能する。挿れたまま奥に擦りつけると、吐精の情動にぎゅうと締め付ける内部の襞が亀頭にまつわりついて、堪らない愉悦をかきたてた。
「は‥‥っ…‥いいですよ…」
達したといっても女のように中が濡れるわけでもない筈が、法正の雄のものに絡みつく内壁が潤んでいると錯覚するほど、彼の絶頂による快楽が悦を呼びこむ。
密に絡みつく奥を愉しみながらゆるく揺すると、苦しそうにうめきを漏らした。
「ん…ぁ‥‥もう、‥‥終わってください」
つれない言い分が彼らしいといえばそうなのだが、普段の威厳も怜悧も零れ落ちた、乱れた呼気と表情が可笑しかった。
抽挿を激しくすると首を振る。非難を含んだ細い嬌声が下半身を刺激した。
「無礼を致しますよ…諸葛亮殿」
誠意のない声音で法正は言い、抱えた足を卑猥に開かせて、熱く潤む奥へと自身を深く沈めた。
「ん…っ…‥ぁっあ……!」
抜いてはまた突き上げて。上がる声と乱れる表情に愉悦しながら自分が達するための動きを繰り返す。身体や表情は逃げを打っているのに内部だけは引き込むように法正を締め付ける。
心地良さに低いうめきをこぼしながら揺さぶって快を貪り、最後は奥を押し広げ、逃げようとする腰を力づくで引き寄せて自身の精を解放した。絶頂の充足と満足感が背を痺れさせる。
幾度か腰を揺すって熱い白濁を諸葛亮の最奥に出し切った法正は、ふぅと息をつき、軽く笑い、己の唇を舐めた。
痕は、意外と残らないものだ。
緩慢な仕草で身づくろいをしている臥竜の身体を眺めた法正は、目をすがめた。
池のほとりの草むらで媾合ったあと、宮城の中にある法正の居室へと連れ込み、更に夜の間じゅう交合を愉しみ、堪能した。
彼は暗いうちに自室へと戻りたいらしい。
まあ確かに。朝になって出ていかれたら、一体どんな騒ぎになることやら。
格式の高い彼の清雅な衣装はいまだ水に沈んだままにずっしりと重く湿っている。
「そのへんのもの、どうぞ、適当にお使いを」
なげやりに言うと、
「助かります」と返答があり、本当に、単衣と幾枚かの衣を重ねて、着込んでいる。法正の、衣服をだ。あの諸葛亮が。
普段着の着物などはゆるやかに仕立ててあるので、誰が着ても同じだ。
髪は濡れているというほどではないが、しっとりと潤むような艶がある。
顔色は、まだ悪い。
行儀悪く寝台に腹ばいになった法正は、置いておいた酒を取り上げてぐいと飲み、諸葛亮にも差し出した。
案外素直に受け取り、無造作に喉に流し込む。
「毒だと、思わないんですか」
「思いませんね」
冷静な即答に肩をすくめた法正は戻ってきた杯に酒を注いで飲み干す。
「なんで、俺と寝たんです」
「借りも貸しも、つくるのはお嫌かとおもいまして」
ふん、と法正は鼻を鳴らした。
「そのくらいで?」
「君主というものは、太陽に似ているのかもしれません」
「はぁ?」
唐突な話題の転換に、法正は鼻に皺を寄せた。
「なんですか、唐突に」
「君主も、太陽も。世の中心にあり、世を照らして、あたため、育む」
「まあ、確かに?」
法正は起き上がって着物を身に着け、寝台の上に足を組んだ。
組んだ足の上に肘を乗せ、頬杖をつく。
「それで、なんですか。諸葛亮殿」
「太陽の熱が強すぎては、干ばつになるように。君主の横暴が過ぎると、世に惨禍を巻き起こします」
過ぎたるは及ばざるが如し。 陽の光と熱は恵みだが、強すぎると災いにもなる。
良い君主は恵みをもたらすが、君主が起こす災厄もまた、天災と同様に地上を焼く。
考えつつ目を細めた法正は問うた。
「太陽は天上にひとつだけ在るものだ・・・地上を治める君主も一人だけが良いと、思いますか。諸葛亮殿は」
空に太陽はふたつと無い。もしあの天体が幾つもあるとすれば、地上は熱と日差しで焼き尽くされるだろう。
「空に太陽はひとつだけですが、地上に君主は何人かいても良いと、私はおもいます・・・その一方で、劉備様に天下を取っていただきたいと思うのも、また、真実ですが」
「・・・ま、そこは同感だな」
法正の君主は一人だけだが、君主は何人かいてもいいとおもう。地上をひとりじめに占領したいとおもう君主がいれば、それは叶わないのだが・・・。
また一方で、劉備に天下を取らせたいとも思う。
法正は皮肉気に口を歪めた。
「君主――われらが殿、劉備殿が太陽であるならば、さながら貴殿は月というところですか、諸葛亮殿」
諸葛亮には月が似合うと言ったのは、誰だったか。
似合うどころか、月そのもののようなところは確かにある。
月は太陽のひかりによって白く静かにかがやき、夜闇を照らし、導く。
彼は乱れていた髪を手櫛で梳いている。物憂げな手つきに色気がにじむが、額髪をまとめて軽く結い上げるともう、いつもの謹厳な様子が戻ってくる。
「月が存在するためには、闇が、――夜が、必要なのですよ。法正殿・・・そして太陽にとっても、それは同じことです」
「ふぅん。なるほど――俺は、闇ですか」
「どうでしょうね」
諸葛亮はゆったりと振り返り、寝台に腰掛けて野放図に足を組む法正に近づき、しろい手を伸ばした。
法正の髪を掻き揚げると、ゆっくりと身をかがめて。額に、唇を落とした。
「・・・諸葛亮殿」
されるままになりながら、法正はつぶやく。
「今度の戦の、火計、見事なものでしたよ」
「ええ」
諸葛亮は、ゆっくりと身を起こした。
「知っています」
「あなた、・・・戦のたびに、池にもぐってるんですか?」
「さあ。どうでしょうね・・・」
静かに、ほとんど気配もなく諸葛亮は出ていった。
しんと静寂が落ちる。
あとには濡れた寝台に、彼が沈んでいた池の水の気配がのこるだけ。
ごろりと横になって、花窓を見上げる。
月は、傾きかけていた。
満月ならば月は欠け目なく光り輝くが、満月でないときの月は、光と闇で出来ている。
劉備と、諸葛亮と、法正。
この国の、太陽と月と闇。
法正は、夜が好きだ。仕事をするのも謀略を巡らせるのも。夜のほうがはかどる。
太陽が無くては月は輝かない。
しかし白く輝く月を抱くのは太陽ではない。夜の闇だ。
すっと起き上がり、伸びをして、明かりをつけた。
「さぁて・・・次の戦の作戦でも、考えるか」
口元に不敵な笑みを浮かべ、法正は腰に手をあて、机に書簡を広げた。
(2019/11/2)
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