シリウス4 魏孔(私設)

 

軍師が突然漢中にやってきた。

「如何なされた。このように急に来られるとは」
魏延は喉の奥で嗤いながら近づき、細い頤を持ち上げた。
「――孤閨をかこつのがお辛くなられたか」
ただの揶揄だった。本来が清雅で潔癖な者である。魏延が強いていた淫らがましい苦行から解放され、喜んでいるはずだ。

だから、まるでその言葉を肯定するように唇が震えたので魏延は内心で驚いた。

色事から遠かった彼に性欲の種を植え付け、享楽を芽生えさせてしまったことは、気にならぬでもなかったのだ。
魏延が目覚めさせた彼の性欲は、その後、どのように変容したのだろう。再び眠りについたのか。それとも・・・
抱きたいのなら妾を抱えれば済む。
抱かれたいならば――・・・相手はいくらでもいるだろう。古参の壮将から若い将校に文官連中まで。よりどりみどりに・・・


「本当に、如何なされたのだ」
軍師の様子は、尋常ではなかった。漢中は要衝で、視察に訪れること自体は不自然ではない。しかし多忙を極める身で突然、単身現れたのはなぜなのか。
覇気なくどこか頼りなげな様子に、魏延は揺らいだ。
以前なら迷いなく寝所に連れ込み、泣かせて口を割らせただろう。
しかしもうそれは出来ない。

「秦嶺を、見たい」
軍師は立ち上がった。つめたいほどに整った様子は、いつも彼だ。だがどこか揺らいでいる。
「・・・お疲れでは、あられぬのか」
「問題ない。案内を頼みたい」
「承知」
軍師として職務を果たすというなら、否やは無い。近習に申し付けて馬を出す。
馬を並べて高台に登り、また山地をめぐった。
時には地図や図面を幾枚も広げ、地形を見ながら議論を交わす。
軍師の才知は、際立っていた。
一目地形を見ただけで、毎日のように見ている魏延や配下が気付かないような妙案が、水が湧き出すように出てくる。
しかし意見が対立することも多い。
経験と本能によって決断する魏延と、知識と理屈と突飛ともいえる発想力で独自の見解を出す諸葛亮は、細かい主張がまるで噛み合わない。
砦をつくるのはあの山頂に。馬鹿なことを申されるな丘の中腹が良かろう。
糧食の備蓄は麓がよいか山中が適当か?どちらも必要でござろうな。
山中の間道は馬が通れる広さに作るべきか、いやそれでは敵も通れる、それよりも。偽の間道をつくって敵兵をおびきよせてはどうか。この道は塞いでしまって、あちらの峠を・・・

衛兵は、離れて付いている。
馬を寄せて並び、肩を寄せ合って一枚の地図を覗き込んで口論していると、天地のあいまに二人きりでいるように錯覚した。
霧のようにこまかく降りしきる小雨が、世のすべてから我と彼とだけを残して遠ざける。それでいて、話しているのはごく現実的な戦の用意ごとなのだが。

さすがに山脈深くまでは分けいらなかった。雨が本降りになり始め、冷え込んでもきたので、陣屋に取って返した。



「温まられたか」
浴室から出てきた軍師は、平服を着けていた。襟と袖に濃い緑青色の飾り刺繍を入れた、見事な織りの白綾である。横の髪を頭頂でかるく結わえているほかは解き流し、つややかな黒が滝のように背に落ちている。
従者が夕餉の膳と酒肴を運んできて、下がっていった。
ありったけの薪と炭を焼いた室内は熱いほどであったが、その中でも軍師の顔はひんやりとした白さを保っている。

「・・・ずいぶんと簡素なのだな」
気の無いふうに形ばかり膳に手をつけた彼は、魏延の、つまり漢中太守の居室を見回してつぶやいた。

漢中は漢の高祖劉邦が決起した土地であり、劉軍にとっても曹軍に対する最前線である。要衝中の要衝であるゆえ、ここ南鄭にしつらえた魏延の本陣は、古い砦を改築した堅牢壮大なものだ。
気候温暖、風光明媚で物資が豊富なことは江南地方と比肩するほどと讃えられる漢中郡南鄭。
錦官城と称される成都の宮城と壮麗さでは比べるべくもないが、心地良さでは遥かに勝る。

それでいて、魏延の居室はそっけないものだった。
成都に今も残してある屋敷のほうは、気の向くままに金をつぎ込んで飾り立てていた。奢侈や贅沢をほしいまま愉しむ性癖は、劉軍の中では異質で、嫌悪されていたものだ。
軍師もその屋敷は知っている。
まして太守となったのだから、いくらでも贅沢をすることが出来るだろうに、意外に質素だ、と言いたいのだろう。
「某にとって今なにより優先すべきは漢中の要害化。いくら金があっても足らぬ」
「太守の俸給を、つぎ込んでいるのか」

魏延は苦笑して酒を含んだ。
「陣屋などいくら豪壮に飾ったところで、曹軍に蹂躙されれば何も残らぬ」
軍師はなにか言いたげに口を開いたが、何も言わなかった。魏延は酒杯を見詰め、気迫をこめてつぶやいた。
「秦嶺の山脈を超えられれば、それで終わりだ。漢中は平原ゆえ大軍を止めることは出来ませぬ。何としても、山地で食い止める」

軍師はもはや頷きさえせず、魏延に視線を当てている。
脇に置いた火炉の中で、薪がぱちぱちと音を立てて燃えている。
ゆらめく炎が軍師の白い袍と頬を淡い朱色に染めていた。秀麗な容貌が、透けるように儚い。
ふいに喉が乾くような情欲がこみ上げた魏延は酒杯を卓に置き、さりげないふうに切り出した。
「客間の方は、今少し飾り調度も置いて心地よう整えて御座る。食も酒も進まぬなら、もう休まれては如何か。従者に案内させよう」
言った瞬間、軍師の表情が揺らいだ。
視線が揺れ、唇が震える。魏延は内心で息を呑んだ。
ある予感が脳裏をかすめた。
戯言の揶揄に言った通り、軍師はまさか本当にその身に情欲を抱えているのではないか――情交を、望んでいるのではないか。

「其方は」
軍師が口を開く。かわいた声音だった。
「其方が飽きるまで、付き合えと言ったな。つまりは、飽きたわけか」
魏延は目を見開き、うろたえて立ち上がった。
「まさか。飽いては、――おりませぬ、が」
現に、灼け付くような情欲の焔を感じている。しかし、――

「いかに某とて・・・想う方は、犯せぬ」

その高貴な肢体と誇りを傷つけ、恥辱に堕とした。もう傷つけることはできぬ。二度と。
「魏延」
「もとより、許されようなどとは、思うておらぬ。財も命も差し上げようが、要らぬであろう。ただ、某にこの地を守らせてくだされ。・・・・ご主君と軍師のおわす成都に、曹賊を、一歩も近づけさせぬゆえ」
ゆらりと立ち上がった軍師は、卓の上に煌々と灯る明かりをふっと息を吹きかけて消した。
暖を取るための火を焚いているので真っ暗にはならず、闇は火炉を中心に、ぼうっとした焔色に払いのけられている。
「魏延」
半歩の距離で、軍師がつぶやく。朱赤がにじみ、美しい幽鬼のようだ。
「伽を」
「は、」
背が、震えた。


「私は、眠れない」
「は、」
「・・・眠れぬ。すこしも。脳芯がしびれるほど疲れているのに、眠れない。ときおり・・・情欲が湧いてくる。自らを慰めようとも思うのに、ながいあいだ筆を握っていると、手が、指先の芯まで凍えて、・・・・・寒くて、冷たくて、・・その手で自らのものを触っても、・・・快が湧かないのだ」

「・・・なぜ、人にさせぬ。貴公をお慰めしたいと思う者は、いくらでもおろうが」
軍師は薄く笑った。
「人を、そのように使うのは、嫌だ。昔からそうだったが・・・其方と交合するようになってからは、ことに。痛苦を与えられることも、快を与えられることも、同様に、辛い。・・・快を煽られ欲を吐き出す道具にされるのは、むごいことだ」

ひくい声が、居室にこだまする。
「私の情も、欲も、私だけのもの。他者に押し付けようとは、思わない。・・・だけど」
なにかが、・・或いはひくい笑いのようなものが、火の朱にそまった闇を縫って響いた。
「・・・・・・・私は其方が、嫌いなのだ」
「――――」
「昔から嫌いだが、今ではもっと嫌いだ。・・・私にこの上ない苦痛と恥辱を与える其方にならば、私の欲を押し付けても良いような気がする」




******



明かりは消しても暖を取るための火が焚かれていて、居室は仄かにあかるい。闇の黒色に灰色まじりの朱色がにじみ、ほのあたたかった。
漢中太守は、蜀の武官としてはほぼ最高位の要職。ゆえに南鄭の公邸は堅牢そのもの。それにしては意外なほど居室が簡素なのは、太守の俸給を、秦嶺山脈の要害化につぎこんでいるからだという。

―――ご主君と軍師のおわす成都に、曹賊を、一歩も近づけさせぬ

吐かれた言葉に嘘はあるまい。我が目で確かめても、山脈は巧妙に人の手が入れられ、天然の大要害へとなりかけている。並みの苦心と忍耐ではなかろう。いかに武勇を誇ろうとも猪突猛進ばかりが能の武将にはつとまらぬ。

「・・・・っ」
うつぶせになった諸葛亮はひくくうめいた。外気にさらされた後孔に屈強で野太い漢の指がさしこまれる。久方ぶりの感触だった。

漢との性交は当初、まごうことなく強姦であった。傷をつけるような真似こそされたことはないが、自分本位に貪婪にむさぼられ、自尊心を踏みにじるようなやり方で奉仕を強いられ、食い荒らされ、望まぬ快を掘り起こされては嗤われた。
諸葛亮が彼を嫌っていることは出会いの最初からの事で、主公をはじめ周囲の武将らもいぶかしむ程だったのだ。主君に近い上位の地位で自分を嫌う文官が、宴席で媚薬を盛られるという不祥事に出くわした漢が、報復めいた淫ら事を仕掛けたのは、ある意味で諸葛亮自身がまねいた自業自得であったのだろう。

身体の中に異物がはいってくる。枕辺にあった明かり皿の油をすくいとった指だ。
成都にあった、奢侈と貪欲に乱れた彼の屋敷では、淫靡な芳香がただよう高価な香油を用いていたのに。高位の武要職に就いたいまは、ただの獣脂だ。
この男の寝所に、淫靡な香油の用意がないなんて。
屋敷に性行為用の奴隷をはべらせた上に妓楼でも荒淫を尽くしていた男としては異常と思えるほどに、寝室に妾や枕童の気配がない。

「息を、」
短い指示に従い、諸葛亮は息を吐いた。奥処に差し込まれた指は、呼吸により弛緩の隙をつくようなかたちでより奥へと進んだ。収縮する内部の肉壁をほぐすように慎重に動く。
「ふ・・・、」
時折油を足されながら、何度もゆるやかに出し入れされる。最初は嫌悪と痛みしか感じなかった行為。嫌悪と痛みは今でも感じるが、ほどこされた油が馴染むほどに悦楽が呼び起こされた。
後ろから躰を寄せた男が、諸葛亮の胸元をはだけ、控えめに存在する朱粒に指を絡ませて、じんわりとそれを慰めはじめる。
女でもあるまいにと嫌悪しか感じなかったそこもまたいつからか篭絡され、快を呼びこむものとなっていた。

やがてどこよりも快を生むしこりを撫でられて、腰がびくりと引き攣った。ここが好いのだろうと何度も揶揄されながら触れられて、無理やり性感を引きずりだされた箇所。
「あ、・・ぁ、・・ん」
腰が浮き上がった。敷布に頬をすりつけて腰を悶えさせる。
快感が突き抜けて脳がくらりと揺れた。
そのしこりは快楽の芯のようなもので、こすられると狂おしい熱が生まれてしまう。
諸葛亮は指の動きに呼応させるように淫らがましく腰を揺らした。

胸をまさぐっていた手が動き、諸葛亮の男根に行き着き、慰みはじめた。
「――――、う、あっ」
諸葛亮は敷布を掴む。
成都の彼の屋敷の寝所にしつらえてあった、あやしげな香が焚きこんであった敷布とは異なる、華美のない、そっけないほどに簡素な布を。
直截な刺激に身体の奥底から快がせりあがってきて、恍惚としたもやに心身が絡められる。
やんわりと慰められている性器は固くしこり、先端から透明な雫を溢れ出させていた。

数本も入って揃えられた指先を押し込むようにして、内部にあるしこりとひときわ強く押される。
「ぁ、あっ」
ぐらぐらと脳裏が揺れて何も考えられなくなる。世界が遠ざかる。
内政のことも、外交のことも。戦のことも。
清廉な政治家と讃えながら、裏では敵国を陥れる為に練り上げて張り廻らせている奇策も謀略も。消えてなくなる。
これが。――欲しかった。


―――なぜ、人にさせぬ。貴公をお慰めしたいと思う者は、いくらでもおろうが

馬鹿な。
このようなこと、人に頼めるものか。命じるなど、更に悪い。
性的な玩具にされる恥辱を他人に与えるなど、出来るものか。

だけど、おまえならばいい。
私の欲を解消する道具とすることに、何のためらいも感じない。


甘えたような喘ぎが、我ながらみっともないと霞がかった脳裏で諸葛亮は思う。そんな恥じらいも、ふと尻のあたりに触れたものの堅さで、薄れた。堅く滾った、嫌味なほどに太くたくましい陰茎のかたち。
そしてうつぶせになった諸葛亮のうなじにふれる、劣情を孕んだ雄の吐息。
――愚かな劣情をこじらせているのは、この漢も同じこと。まして男色などかけらも興味がなかった諸葛亮をその道に引きずり込んだのだ。
今更。
股座に男の逸物を咥え込まされて苦しさに身悶え、泣き叫ばされ、しまいには望まぬ悦楽さえ引きずり出されて笑われた。
苦痛の悲鳴も情けない哀願も、泣きながら懇願したこともある。
いまさら、喘ぎのひとつやふたつ聞かれたところで、何だというのだ。
どうせ、相性も、出会いも、肌を合わせるようになった経緯さえも、最低最悪なのだ。
一部の文官には「神仙のよう」と阿呆らしい讃えられ方をしている冷厳な軍師・諸葛亮の、見栄も体裁も捨て去った最も俗で下種な部分を隅々まで暴き立てた、この男ならば。
どのような卑小な私をも、受け入れてくれる、のではないか。
いや。
受け入れなければ、許さない。


二本ほどの指がぎゅっとしこりを押した。
「あ、―――――」
荒れ狂う塊が一気にせりあがった。前への愛撫はほとんどない、後ろだけで達する性感が、意識を白く灼きつくした。

久しぶりの射精の絶頂感は高く長く、諸葛亮を翻弄した。高みに押し上げられた感覚が長く遥かに尾を引いて、下に降りて来られない。
「あ、・・・っ・は、・・ぁ」
どくどくと吐き出される精液が生成りの敷布を汚していく。声を殺す余裕もなく、諸葛亮ははげしい呼吸に薄い胸を上下させながら倒れるように伏した。
絶頂の緊張が続いている。濡れて穢れた敷布が肌にふれる感覚が淫靡な刺激となった。

「う、・・ん――」
押し上げられた性感の頂上からようやく下り、緊張をやわらげた諸葛亮は、ゆるやかに寝台に伏した。
身体が弛緩したことを見計らうように、諸葛亮を散々に翻弄した太い指が抜けていく。
惜しむように、諸葛亮の内部が収縮した。
呼吸はいまだに荒く、胸は上下している。射精の絶頂から降りた諸葛亮の身体は、次の刺激を求めていた。

「・・軍師」
呼ばれた諸葛亮が目を上げようとすると、頭部を抑え込まれた。うつぶせのままに。まるで、男の顔の方を見るな、と言わんばかりに。

ある時から男がむごく責めるような犯し方をしなくなったのは気付いていた。
それに。
「・・・・・魏、延」
それに・・・彼の名を呼ぶと、非道な攻め手が、いっときおさまる。そのことに気付いてから諸葛亮は、閨で辛くなると、彼の名を呼ぶようになった。
名を呼んで、あわれに懇願すると大抵の場合、彼の貪婪がおさまって、責め苦がゆるやかなものになるのだった。

「魏延・・・」
漢の顔を見ないままに、諸葛亮は男を呼んだ。
頭部に置かれた手のかたちを考えた。粗野で無骨で、閨では殊更に猥雑な動きをする野獣の手の、様相を。

「ここに、某が欲しゅうござるか」

触れてきたのは、おそらく指だろう。彼自身の雄と異なり、濡れてもいなければ熱さもさほどない物が、後孔を撫ぜた。
思わせぶりでもなければ、からかうようでもなく。焦らしている風でもない。
苦り切ったような、不機嫌にさえ聞こえる声音だった。

其処に男根をねじ込まれたいのか、と問われた諸葛亮は熱に浮かされながらもしばし沈黙した。
尻に、熱いものが触れる。指とは明らかに異なる質量と熱をもったものが。ぐいと後ろから腕を引かれて、脱げかけていた着物を剥ぎ取られ、一糸まとわぬ裸体にされた。
暑苦しいほど身近にあった体温がいっとき離れ、着衣を脱ぎ捨てる衣擦れの音の後で再び、いっそう近く戻ってくる。

互いに熱情を孕み、体温のあがった身体が擦れるほど近くにある。むくつけき、雄大な体躯と、実戦のみで鍛えた隆隆とした肉の感触にぞわりと皮膚が湧きたった。
射精の悦楽の余韻とはまったく別種の期待と快感が喉元まで込みあがって、諸葛亮はせわしなく息を継いだ。
熱い体躯の気配に背筋が痺れて、力が入らない。ぐいと腰を持ち上げられて、まだ何もされていないにも関わらず息が乱れ、開いた口唇から喘ぎがもれた。
後孔が開いて、次の刺激を待ち受けている。自分がこのように快に弱い性質だとは思ってもいなかった。

「欲しい」
諸葛亮は喘ぐようにつぶやいた。そこまで恥は捨てきれず、こぼれたのはちいさなささやき声だった。
「欲しい。――ぎ、えん」
耳元で、舌打ちの音を聞いた。心底から忌々し気な。それでいて、何か、熱と劣情にまみれた唸りのような音律を聞いた瞬間に、野太い熱さに後孔が圧迫された。先端が触れただけ、というのにその大きさが分かる。
「ぅ、―――」
諸葛亮は息を吐き、身体の力をゆるめた。息を吐いて身体のこわばりをゆるめ、圧迫感をやりすごすこと。全てこの漢に仕込まれた。肉の輪を押しひしいで長大なものが挿入ってくる。異物感はあれども、執拗にほどこされた油のせいで痛みは少ない。

もっとも太い箇所を過ぎると緊迫していた後孔がゆるみ、息を吐いた隙を縫うようにあとの部分はずぶずぶと呑み込まれた。
「っ――ぁあ・・・ッ」
絶頂とは異なる衝撃に、意識がくらりと遠のいた。ひくつく内壁を押し広げる熱さに、自分のものとも思えない高い声が喉をついてこぼれ出る。

遠のきかけた意識を繋ぎとめるのは、背後に感じる漢の体躯だ。みっしりと肉のついた体躯の確かな存在、寒い季節にも関わらず汗ばんでいる熱さ。
ず、ず、と揺するように動いて、最奥まで入ってくる。
無理にねじ込まれはしないものの逸物なあいからず凶暴なまでの大きさで、その重苦しさにおもわず逃げようと這いずると、のしかかる相手が何事かをつぶやいた。
何を言ったのかと思わず振り向くと、暗闇の中で目が合った。炯々と底光りして、「山野に徘徊する獣のような」と文官たちから秘かに恐れられている、両眼と。

目が合うと口付けられた。
この男は、おそらく口付けを嫌悪している。肌をさらされ貪られ、辱められていない箇所など全身の中で無いほどだが、口唇を奪われたことは、ほとんど無い。
口は、合わされてすぐに離れ、もういちど、今度はやけに荒々しく、噛みつくように奪われた。口づけというよりは喰らうように。

首だけを無理に後ろ向けた姿勢が苦しいと思う間もなく、脚を引かれて、後孔に男根が挿入ったまま向かい合わせに引き起こされる。
初めての体勢への戸惑いは、口腔のうちがわで荒く絡んだ舌の感触のなかに霧散した。後孔に受け入れた逸物の圧迫感だけでも凄いのに、分厚い舌までもねじこまれては、上の口までも犯されているような気になる。

「ぅっ、ん・・・っ」
姿勢的には、男の膝に乗るかたちの諸葛亮のほうが上になる。だが優位さはまるで無い。
口内を這いまわる感触に気を取られていると、ずくりと内壁で灼熱を帯びた塊が蠢いて脳髄がしびれた。

体勢の不安定ゆえに身じろぐと、自身の肉壁が雄を締め上げてしまって身悶え、見悶えたせいでまた内部で男を感じる。圧迫が凄くどうやっても逃れられなくて、たまらなかった。
体勢のせいでおそろしいほど奥に雄を感じる。それに、男の腹筋にみずからの男根が触れるのもまた、雄同士の性交である背徳感がいや増した。

「声、を」
この男は性交中、寡黙ではない。
いやらしい弄りごとを口にするほうだ。だのにやけに言葉少ない。
「御聞かせ、下され。――軍師」

口づけを解かれて口を塞ぐものはない。
声を強いるように腰を揺らされて、諸葛亮はのけぞった。
「あ・・っ、――ひっ、あ、あ・・・!」
中のしこりは熱い塊に押しつぶされていて、男が動くたびに叫び出したいほどの快楽を呼びこむ。ひどく深くに刺し貫かれているせいか、女のように濡れるはずもないのにじゅわりと愛液のようなものが湧くような錯覚さえした。閉じられない口からあられもない喘ぎを絶え間なく零れ落ちる。

体勢の寄る辺なさに両の手を伸ばし、目前にある男の体躯にすがった。これほど近くに感じたことは無い。体躯のたくましさ、傷あと、汗の匂い、体温。相対する相手の濃厚な情報が五感に流れ込んでくる。

漢の動きはいよいよ激しい。
もっと、欲しい、と。過ぎた快楽に痺れた脳裏にそんな言葉が浮かんだ。
もっと欲しい。
政治や軍事の職務を、忘れたい、だけではなくて。
もっと、別のものが欲しい。満たされたい、のだ。

主君に重用され、百官にかしずかれていてさえ。いやそれでこそ。孤独だ。
人の上に立つという事は、弱みを見せることはできない者たちに四六時中囲まれているという事は。


「あ、あ・・・魏延」
無骨で荒々しい筋肉で盛り上がった太い首にすがりつく。
いっそう荒々しくなる突き上げが心地よく、向かい合う男が上げる悦楽と貪欲を隠そうともしない粗い喘声がまた心地よい。
諸葛亮の内部を味わい尽くすように貪欲に淫らに動く陰茎は同時に、諸葛亮の欲情を煽り、劣情を満たし、その熱さを存分に堪能させた。
身体も思考も、その熱さと質量に占拠されてほかの何も感じない。あえていうなら、あとは腰と背を支える手の確かな強さか。

「ぅ、ぁ、・・あ、あ、あ・・っ」
穿たれるのに合わせて声が上がる。
弱い分を擦られて、或いは恐怖を感じるほど最奥を穿たれて。諸葛亮は喉をそらせて喘いだ。動かれるたびに熱が膨れ上がって腰が揺らめき、甘い嬌声が上がる。

思考も何もかもが限界を感じて霞んだころ、速く激しい抽挿で内部をえぐられた。
「んぅ、・・あ、あ、ん、――!」
爪の先から脳天まで愉悦が駆け巡った。圧倒的な質量で奥をえぐられ、がくがくと腰を震わせた諸葛亮は射精した。
快楽の頂点を極める肢体を、背と腰に回った太い腕で男の方に引き寄せられ、全身できつく抱きこまれる。快楽を極限まで享受するために収縮する熟れた内部を太い陰茎の全てで味わいながら、男も精を吐き出した。
これ以上はあるまいと思った愉悦の極まりの中で大量の雄の精液をどくどくと注がれた諸葛亮は、意味のなさない叫びを発してさらに男根から白濁をこぼす。
過ぎた、快楽。
陰茎を抜かれ、強くたくましい腕によってしとねに降ろされると、意識が遠ざかった。

身体を清められている間は起きていたように思う。
身体を清められ、体液によって濡れて汚れた敷布は替えられた。
濃やかな性交を為したせいで、諸葛亮は自分の中からなにかが零れ落ちたように感じた。
政治的な不安や不満、孤独、寂寞、虚無、そういうものが。
いっときに過ぎないにしても、溜まり昂ぶっていた劣情といっしょに、脳と心と身体から抜け落ちた。
あさましい、身体。
でも、それが生きているという事なのかもしれない。

「・・お眠りなされ」
「うん」
幼児のような返事をした諸葛亮は、ことりと枕に頭をあずけた。
目覚めている合間は一時たりとも動きを止めることなく働き続けている優れた頭脳は、漢中太守の居室の寝台の枕にゆるやかに沈み込んで、動かなくなった。

諸葛亮は眠りに引き込まれた。
穏やかに伏せられたまぶたの下からするりとひとしずくの水滴がこぼれ落ちたのを、太い指先が受け止めた。




******


成都より軍師将軍が来訪しているとあって通常の職務を行うつもりはないが、部下への指示は欠かせない。
夜明け前に起き出して配下と軍務のあれこれを協議した魏延は、居室に戻って立ち尽くした。
寝所が、空であった。
濃い性交であったのだ。まさか早朝から立てるとは思いもせず。
どこへ。
血の気が引いた。
居室から通じる露台にその長身を認めたときは、自分でも嗤えるほどに安堵した。

「軍師」
返事はない。
白くかすむ朝もやの中に立つ彼は、結わえていない長く黒い髪を風になびかせていた。
袖を通さず肩に引っ掛けているのは、昨夜まとっていた袖に濃い青緑の縁取りのある白袍――いつかの夜、見たのと同じような光景。あの時彼は、別の男と一緒だった。
実直にして清廉、武も見事なら用兵も巧みな上に忠義に溢れ、女遊びの噂など聞いたこともない誠実な堅物、そして女遊びしないことに妓楼の遊女が悔し泣きするほどの美男。軍師との付き合いは長く、親密。
要するに、魏延とは正反対の男。

敵わぬ、な。あのような御仁と、比べられては。

魏延は内心で舌打ちをし、不機嫌まるだしの渋面をつくった。
軍師が振り返る。
「・・不機嫌だな。そんなに私との交合は、不本意であったか」
「そうでは、御座らぬが」
惚れた者に求められたのだ。それも、二度と触れることは叶わぬと、思い切っていた者に
喜ばないわけはない。
が、・・しかし――

「かのお人には、求めぬのか。好いて、おられるのだろう」
朝もやのなかでけぶるようであった軍師の表情がわずかに動いた。いぶかしげに、そして呆れたように。
「何度言ったら分かる。信頼も尊敬もしているが、そういう相手ではない」

「――貴公は、某を、許されるのか」
軍の、いや一国において頂点に近い権力を持つものだ。己を脅し、辱めたものなど、密かにでも公的にでもいかようにも、なぶり殺しにできようものを。
「まさか。許さぬ」
軍師は真顔であった。
軍師が歩を進め、魏延は立ち尽くした。
雲を踏むような軽やかな間合いで、息が触れるほど軍師が近づく。珠玉のような見事な黒眸には、底の知れない彩めいた光が揺蕩っていた。

「魏延。魏文長。おまえは私のものだ」

さしもの魏延も、しばし黙った。
しばらくの沈黙のあとで彼特有の不遜な仕草で両腕を組み、ふてぶてしく唇を曲げて笑った。
「よかろう。軍師、諸葛孔明。魏文長は貴公のために死にましょうぞ」

「魏延―――書簡の紐が切れたのだ」
魏延は口をつぐんだ。
「其方がよこした定例報告の書の・・・綴り紐が切れた」
何を言っている?
「龐士元が・・・最後に寄越した書でも同じことが起こったのだ。それで私は――」
龐士元・・・龐統士元。諸葛亮と旧知であったという才人。成都戦の前に雒城攻城戦で矢によって命を落とした軍師。
では、軍師は。魏延の送った書簡の紐が切れたことに過去を思い出しはるばる漢中にやってきたというのか。

軍師は強くも儚くもみえる表情で魏延を見て言った。
「其方の命など、要らぬ。生きよ。主公と、国と、私のために、生きて、戦え。最後のひと息を終えるまで、な」
真摯な眼差しに魏延は不遜な腕組みを解いた。
秋の遅い夜明けがそこまで来ていた。
山の端から暁光が射し込む。
晩秋の曙光のなかで魏延は手を伸ばし痩身を腕におさめた。そのおそろしいほどに孤独な魂ごと包む込むように強く堅く抱き寄せ、静かに口を開きただひとこと言った。
「御意」

   
 









(2019/09/22)

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