「すこし調べてみたのですが、茶の栽培には、気温が高めで雨が多いことが必要で、それに昼夜の寒暖の差が大きい山間部ほうが品質が良いようです。蜀の山は、この条件にぴったり当てはまりますから、良い茶をつくれる期待ができますね」
す、と袖をはらった諸葛亮が、燭灯の火を木片へと燃え移らせ、さらにその火を炉に組んだ木切れへと移した。
すかさず劉備が立ち上がる。
「あ、危ないぞ、諸葛亮!やけどしたら何とする!」
「大丈夫です、殿」
「それなら良いが・・気をつけるのだぞ」
ぱちぱちと良い音がして、火が燃えはじめた。
「都はもちろん、中原の各地で茶を飲む習慣が広がっています。華北で栽培するのは難しいですから、北に運べば蜀の茶は良い値段で売れます。質の良いものを生産できれば、国を富ませる資源となることでしょう」
おごそかな口調で話しながら、諸葛亮が青銅の鼎(かなえ)を持ち上げた。3つ足で複雑な文様が入っていて、これで諸葛亮は湯を沸かそうとしているのだが、かなり重さがある。立ち上がろうとした趙雲だが、劉備のほうが速かった。
「私がしよう!落としはすまいかと心配だ」
「落としません」
「いかんと言っておるのが分からんのか」
「主君にものを運ばせるのは、不敬というものです」
今度こそ趙雲は立ち上がった。
「私がいたします」
趙雲の手によって鼎は無事に、炉の上に落ち着いた。先に運ばせておいた壺から、諸葛亮はひしゃくを使って水を汲んだ。鼎に移す際には、高いところかにひしゃくをかかげ、細く細くすべり落とすようにして注いでいく。軽やかな水音が立ち、水がすべり落ちていった。
「そのように水を落とすには、理由があるのか?」
「水に空気を含ませているのです。こうすると水がきめこまやかな味わいになります」
「ほう・・・」
感心しきりというふうに劉備は目を輝かせた。
「諸葛亮のなんと博識なことか・・。そうは思わぬか、趙雲」
返事をするよりも先に諸葛亮の声が割って入った。
「それよりも座っていてください、殿。殿が座らないと趙雲殿も座れません」
「そ、そうだな・・・」
劉備はなごり惜しいような顔をしたが、すす、とあとずさるようにして卓につき、趙雲も座った。
椅子に座ったものの、劉備がそわそわしているのは明らかである。
火を使う炉は部屋の隅にあるので、卓からは離れている。炉の前にて茶を支度する静かな白袍の動きを、一途に目で追っている。時折はっとしたように姿勢を正すのだが、それもつかの間、しばらくするとまた前のめりになる。劉備が身を乗り出し、また戻るたび、頭に飾った緑の布がひらりひらりと、趙雲の目の前をいったりきたりした。
諸葛亮が茶葉をすこし火であぶると、香ばしい匂いがぱっと広がった。鼎ではすでに湯が沸き立っている。白い袖が控えめにひるがえり、燻された茶葉が湯に入れられた。
「あの仕草がな・・・」
劉備が声をひそめる。
「指先についた茶葉を払うなにげない仕草が、なんとも奥ゆかしいと思わないか、趙雲」
「はい」
つられて趙雲も小声になる。
「私にはよく分かりません」
「朴念仁にもほどがあるぞ、趙雲。すこしはみやびというものを分からぬか」
「みやび、と言われても私にはよく・・軍師殿のことですか」
諸葛亮は茶器をそろえているらしかった。主君の言うことであるので、みやびというものを見分けようと、趙雲は白袍の動きに注目しようとしたが、劉備にこめかみをこずかれた。
「あんまり見るな」
「え」
主従がこそこそささやきあう間に、茶が煮える涼やかな匂いが広がった。
「成都の西にそびえる峨嵋山にて夏に摘まれた茶葉を使いました。竹のような色をしているので竹葉青(ヂゥイェチン)と名がついているようです。殿、どうぞご賞味ください」
差し出された茶を、劉備は受け取った。もの珍しそうに眺めておもむろに口に運ぼうとすると、すっと静止が入る。
「殿、煮えたばかりの茶です。そのように急いては、やけど致しましょう。いますこしごゆっくりお飲みください」
「うむ」
慌てて茶器から手を放して卓に置いた劉備だが、感激だ!という表情が顔いっぱいに広がる。
「そなた、わたしのことをそれほど気にかけているのか、諸葛亮・・・」
「臣下として当然のことです」
謹厳な無表情ですらりと一礼し、諸葛亮がきびすをかえす。
引き返してきた彼は、同じものを趙雲に差し出した。
「どうぞ、趙雲殿」
「いただきます」
茶の礼法などわきまえぬ趙雲は、酒杯を受けるときと同じ作法で受け取った。諸葛亮がなにも言わないので、それで合っているのだろう。茶は美しい緑色で、爽やかでありどこか謎めいた深みもあった。ひと口含むと、まろやかな味がひろがった。
「味は、いかがでしょうか」
「うまい!このような美味い茶を飲んだのは生まれて初めてだ!」
「それは重畳にございます」
静やかに軽く頭を下げて諸葛亮は背を向けようとしたが、がたりと椅子を鳴らして劉備が立ち上がったので、振り向いた。
「嘘だと思ってくれるなよ、諸葛亮。本当なのだ。都で、曹操のおかかえの侍者の煮た茶を飲んだことがあるし、それに袁紹のところで飲んだ茶の葉など、目の玉が飛び出るくらいの値段がついていたが、それでもそなたの煎れた茶にはとうてい及ばなかった」
「それは新鮮であるかの違いでありましょうね・・・茶は南方のもの、華北へと運ぶ間に湿気を含み、どうしても色や香味を損なってしまいます」
「いいや、私はそうは思わぬぞ、諸葛亮」
「と、仰いますと?」
「そなたが煎れるからこそ、茶はこれほどの香気を放つのだ。私はそう思う」
諸葛亮は透き通るような黒の双眸を細めて、薄く笑ったようだった。どこか皮肉げにも見える微笑だった。
「殿は誉めるのが上手いお方です」
「誉めたいと思ったから、誉めているのだ。そなたの才は広く深い。私には過ぎた臣だ・・!」
劉備はさっと手を伸ばして、諸葛亮の手を握ろうとしたが、それより一瞬だけはやく、諸葛亮が、す、と身を引き、うやうやしげに一礼していた。
茶のおかわりをしたが、ほどなく劉備と趙雲は退室した。
茶を飲んでいたのは諸葛亮が執務をする政庁内の一室であったのだが、これからまだ執務がありますから、ということで、言ってみれば追い出されたのだ。
「くっ」
劉備がうなった。
「どう思う、趙雲、諸葛亮のあの態度は。いや今日だけではないのだ、同衾してさえそうなのだぞ!隙がないのだ。あのさらりと身をかわす仕草ときたら・・」
「はい?」
「物腰はあのとおりうやうやしくて申し分ないが・・私のことをどう思っているのだろうか。そなたはどう思う、趙雲」
「軍師殿は、殿のことを敬愛されていると思います」
「それは主君としてだろう!?」
「はい」
それ以外になにがあるのだ。
劉備の自室に帰りつくまで、趙雲はひたすら聞かされた。
いかに諸葛亮が優れているかということを。そして、いかに諸葛亮がつれないかということも。
「声もいいんだ。なにか背にぞくりとくる声だと思わんか。だが吐く言葉ときたら冷たい。いや、諸葛亮が冷たいわけではないぞ。しかしなにか冷たいのだ。厳しいというかな・・しかしあれの本来の性格は厳しいのではないと思うのだ。しいて厳しくしているのだろう・・・やさしい所もあるし、しかし私に対しては打ち解けてくれない。この上なく忠義を尽くしてはくれているのだが、それでいて一線を越えさせてはくれないのだ。この頃では同衾さえも、忙しいからと断られているのだ。切なくてたまらぬぞ。私はどうすれば良いのだ、趙雲――」
劉備を室に送り届け、丁寧な拱手ときちんとした挨拶を述べて趙雲は辞した。
途中、張飛にばったり会った。
「おお、子龍!いま飲んでるところなんだがよぉ、おめえも飲まねぇか!?ってえか、なにしけたツラしてやがんだよ。ま、兄者の警護っつうのも、疲れるよな」
「いえ。警護は疲れませんけど・・・飲ませてもらっていいですか、張兄」
警護で疲れたなんていうのは、不忠だと思う。でも・・・別のところでなんだか疲れた。なんに疲れたのか、よく分からないが。
「おっ、付き合うか、珍しいな?よっしゃ来い!今日のはいい酒だぜぇ、俺様のとっておきだ!」
次の朝、趙雲はいつもどおり劉備の警護に付いた。ただし、顎がやや斜めに傾いていたが。
「なにか、酒の匂いがしないか、趙雲」
「そうでしょうか。私には分かりません」
下を向くと死にそうに吐き気がこみ上げるので、趙雲はすこし上向きに顔を上げている。
昨夜はけっきょく張飛に付き合わされて地獄のような酒盛りだっが、むろん職務に忠実な趙雲は二日酔いの様子などまったく見せない。(少しだけ上向いてること以外は)
「そうか・・・私の気のせいだな。うむ、趙雲、ゆうべ寝ずに考えたのだが、ほら、恋愛は、押して駄目なら引いてみろ、とか言うじゃないか?ここは引いてみようと思うのだが、あの諸葛亮が乗ってくると思うか?いや思わぬよな・・・私はどうしたらいいのか分からないのだ。諸葛亮・・・想うだけで胸が苦しいというのに。ああ・・・諸葛亮のほうが魚であればよかったのだ。それならば釣り上げる方法もあるというものだ。なのにあれは水なのだな・・捕えようとしても、するりと指からこぼれ落ちてしまうところが正に水だ・・・私のほうが釣り上げられてしまった、心をな・・・ああ、趙雲、私は何を言っているのだろう。恋をすれば人は愚かになるというが、今の私はさぞかし愚か者に見えるのだろうな、趙雲。そうは思わないか、趙雲」
その日張飛は待ち伏せしていて、出会いがしらに部屋に引きずり込まれた。
「ちょっ、私は今日は、もう――」
「がははははは飲め子龍!兄者の警護してもらってる礼だ飲んどけー!」
その夜も、地獄のような酒盛りだった
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サブタイトル「趙子龍の受難な一日」(笑)
なぜ魚水なのに主役は趙雲なのかというと。
5では劉備伝でも趙雲伝でも趙雲って劉備のそばに付いてるじゃないですか?わたしのなかでは劉備のとなりには趙雲がいるのがデフォルトになってるんですよ。劉備が諸葛亮を口説くときも隣で立ってるような気がして(笑)
(2009/8/20)
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