50題―23.甘い…3

 


ぶるっと劉備が身体を震わせたので、馬超はすこし慌てた。
「ぅ・・・ううう」
「なんだ、劉備?腹でも痛いのか」
「いや・・そうではない。追っ手の・・気配がする」
「追っ手?城からのか」
しきりと後ろを気にかける劉備に馬超は思わず佩剣に手をかけそうになったが、曲者だというのならともかく、城からの追っ手というなら、蜀の臣だ。
「どうせ来るのは趙雲だろう?まあ、怒らせると怖いし、あいつの説教はしつこそうではあるが・・・慣れておるだろうに」
「ぅ・・・その。趙雲もくるかもしれぬが、それよりもだな―――ああ・・・私はまずいことをしてしまったのだろうか・・・・」
「逃げるか?」
逃げるなどと、本意ではないが、なにしろ劉備の様子が尋常ではない。
「い・・いや。ここまで追いかけさせただけでも罪が重い・・のだろう、おそらく。お、怒っているかもしれぬ。ぅぅぅ」
冷や汗をにじませる劉備に、馬超は首をひねる。
「よく分からんが、まずいのだな?しかし、逃げないのなら、迎え討つしかあるまい」
「迎え討つ、か。・・・お前は勇敢な男だな、馬超。私もお前にならうとしよう。ちょうど良い、そこに店がある。入るぞ、馬超」
「あ、ああ」
うなだれていた劉備は急に顔を上げ、拳を握りしめてなにやら決意を固めたようだった。
それにしても劉備が入ると言ったのは、薄汚い店だった。傾いた看板にかすれきった文字でなにか書いてあるのは、屋号なのだろうか。入るぞ、といわれても、ためらうような店構えである。
「なんの店だ?」
「急げ、馬超!」

「ぉう、いらっしゃい、劉備様。ひさしぶりですな」
はっきりいって、ぼろい店だった。奥からのっそり出てきた男は熊のような風体で頬に傷があり、なんともガラが悪い。言ってみれば、張飛をもうちょっとヤクザな感じにしたようなものだ。
入り口はひっそりしていたが、中は奥行きがあってなかなか広いようだった。
劉備が店主らしい熊男となにか話し始めたので手持ち無沙汰な馬超は、腕を組んでそこらを見回した。
売り物は置いていないが、食いもの屋らしき気配はしている。ぼろっちい卓と椅子が置いてあるところから、頼めばなにか出てくるのかもしれない。
壊れそうな椅子に座る気にもなれず、馬超はいったん外に出た。
先ほど見つけた看板の字はひどく読みにくかったが、「甘味処」と書いてあるようだった。字は判別できたが、何の店であるか、さっぱり分からない。
その時、
「――見つけたぞ、馬超!」
まるで万軍を叱咤する猛将のようなはりのある声が飛んできた。焦って見回すと、まるで、ではなくて、そのもの、ほんものの猛将だった。
「趙雲か。早かったな」
「殿は、どこにおられる」
「この店の中だ。店主の人相は悪いが、害はなさそうな店だぞ。心配はあるまい。しかし趙雲、街歩きというものは案外、愉しいな。あの鶏の串焼き、あれは傑作だった」
「・・・それほど美味なものですか、あれは」
「ああ、美味かった。これは内緒だが、秘伝のタレには隠し味が―――・・・な、!!・・・ぐ―――!?」」
馬超はのけぞった。
ありえない。
嘘だろ。
真昼の蜃気楼か・・・!?
「趙雲殿、馬超殿。しばらく、入ってこないで下さい」
真昼の蜃気楼が、緑で縁どりした白い袖をひるがえして、小汚い店に入っていくのを、馬超はぽかんと口をあけて見送った。
ぎぎぎ、と首を曲げて振り向くと、趙雲が苦笑いしている。
「おい、あれは・・・幻か?」
「なにを言っているんだ。馬超、私はちょっと外すが、お前はここに居ろ。言わずとも分かるとは思うが、この店の中には今、蜀の頭と心臓が在る。なにかあったら只では済まぬと思え」
「俺が、この汚い店を守るのか」
「すぐに戻る」
趙雲はさっさと身をひるがえして行ってしまった。何をおいても劉備第一の臣にしては、意外だった。
守れと言われずとも、守るしかあるまい。
蜀の頭と心臓というのは比喩ではない。どちらが欠けても、この国は立ち行かない。
店の敷居をまたぎかけて、しばらく入ってくるな、と言われたのを思い出して、立ち止まる。
追っ手をひどく気にしていた劉備。とすればあの御仁が来るのを、予想していたということか。にしては、えらく怯えていたが・・・
馬超はいつでも抜けるよう腰の佩剣の位置を直し、店に背を向けて腕を組んだ。
街はにぎわっていて、平和そのものである。
よい、天気だった。



隅から隅までぼろっちい店に、高雅な白袍はとんでもなく似合っていない。
同等の美貌でも、以前連れてきた趙雲はもうちょっとしっくりきていたし、馬超だってそんなにおかしくはなかった。
だのに、白い容貌が周囲からめちゃくちゃ浮いている。
「しょ・・諸葛亮」
犯罪級の似合わなさに、劉備はめまいすら覚えた。
「なにか、我が君」
「ぅ・・いやその」
「・・・そのように驚かれずとも宜しいでしょうに。私が追ってくることを期待して、抜け出されたのでしょう。違いますか?」
「い、いや・・・」
まさか、小汚い店に似合っていないぞ、諸葛亮!!とは言えない。他の誰であっても言えても、この寵臣にだけは言えない。言ったところで、鼻で笑われるだけかもしれないけど。
「本当に、追ってきたのだな・・・」
なんとなく劉備は、感動した。
諸葛亮と会う時間を見計らって、抜け出したのだ。
追ってくるのを期待していながら、追ってくるはずがないと、どこかで諦めてもいた。
「大いに不本意でした。約束をすっぽかされたときは、本気で腹が立ちましたが」
「すぐに、わざとだと気づいたか?」
「追跡があまりに簡単でしたからね・・・街に着いたら着いたで、道行く者たちが先を争って行き先を教えてくれる。どうせなら、もう少し分かりにくい脱走をしてくだされば、私も楽しめたでしょうに」
それほど怒りをあらわさない寵臣に、劉備はほぅっと息をついた。
「・・・私は、そなたに街を見せたかったのだ、諸葛亮。誘っても、忙しいからと共には来てくれぬから」
「そんな所だろうと思っておりました」
「民の声を聞いたか?みな、喜んでいただろう?そなたが工事をしたおかげで、川が溢れなくなったと。法を引き締めたことで、賄賂を受け取って民を苦しめる役人がいなくなったと。農地が増えて、飢えることが減ったと」
「聞いておりません。それに、殿はよくよく綺麗事がお好きだとみえる。民の声を本気で聞くと、かならず言うはずですよ。息子を兵に取られてしまった。返してくれ、と。兵に取られて死んだ夫を、息子を、兄を、弟を、返してくれ、と。戦に巻き込まれて死んだ妻を、娘を、姉を、妹を、返してくれ、と」
「それは―――!」
劉備が一歩前に出た。
「それは、益州の民のことだけではない!戦乱が悪いのだ!!」
「悪いのは、益州を奪った私たちです。ご安心を。殿のせいにするつもりはありません。すべての咎は私にあります。・・・劉璋殿はそれほど民を思いやる君主ではありませんしたが、ただひとつ、大きな戦はしなかった。これは彼の最大の功績です。いかに民と思いやろうとも、呉魏に戦を仕掛けた私たちは、民に恨まれておりましょう。ですが、私は民の声など、聞くつもりはありません。私は我が信じた道を参ります。いかを民を虐げようとも」
「諸葛亮―――!」
もう1歩、前に出る。距離はほとんどなくなった。
「違う!なにがそなたのせいか!!戦で死んだ者は、なるほど返ってはこない。大切なのは、未来ではないか。これから戦で死ぬ者を、なくせば良い。それに、戦がなくなっても兵はまったく無くなることなどありえぬ。だが、その兵はけして無益な兵ではない。国を、故郷を守る兵だぞ、諸葛亮。民の嘆きはなくならぬが、そこには必ず誇りがあるはずだ」
「殿は、楽天家でいらっしゃる」
「そなたは完璧を目指しすぎる」
手を伸ばしかけて劉備は上げた手を握りしめ、息を吐いた。寵臣は冴え冴えとした美貌を冷ややかにとぎすませて、劉備を見ていた。
「このような議論をしたかったのではない・・・成都は、目に見えて民の暮らしが良くなっている。単に豊かであるというのではなく、民の顔つきが明るいのだ。乱世であろうとも民はつねに前を見ている。それを見せたかったのだ」
「我が君が民に愛されているということは、よく分かりました」
「それは、そなたの施政があってこそ――」
言いかけて、劉備は動きをとめた。
激昂していたので、距離がなくなっていることに気づかなかった。気づいてみれば、美貌がいや近くにあって、劉備は赤面した。諸葛亮の容貌を見ると、いつもどきどきしてしまうのだ。
いつ見ても細工師が特別に気を入れて彫りこんだ白玉のような容貌である。
ぼぅっと見惚れていると、諸葛亮がぼつりと言った。
「同じ城内に居る私より、あの者たちのほうが、貴方と会う回数が多いのかも知れないと思うと・・・・思わず街に火をつけたくなりました」
「火を・・・・って。―――ええ!?」
美貌は冷ややかに、もの凄く嫌そうに目を細めた。
「ご安心を。成都に火をつけたりしたら、蜀郡太守法正殿にどんな報復をされるのか分かったもんじゃありません。それに、私の執務が増えるだけです」

野生動物並みに良い勘に頼っていままで戦乱の世を渡ってきた劉備は、理解力や思考力となると、それほど優れてはいない。
だから諸葛亮の言葉を理解するのには、時間がかかった。
「え・・・諸葛亮・・・火を、つけないでくれるのか、良かった―――では、ない!その・・・・そなたの言い分を聞いていると、私に会う回数が少ないのが不満だというふうに聞こえるぞ、今の言い方だと!」
「だったら、なんです」
「う、嘘をつけっ!!いっつも嫌そうに私の執務室にやって来るくせに、何を言っておる!!まして私が丞相庁を訪ねようものなら、邪魔だと3秒で追い返されるのがオチじゃないか!!私がどれだけ切ない思いをしておるかなど、そなたに分かるものかっ!!」
「同じように、私の苛立ちなど、殿にはとうてい理解できないでしょう」
「い、苛立ち・・・!?」
重々しい、ほとんど殺気さえ感じられるため息を諸葛亮は吐いた。
「貴方が居ると、執務ができないのです」
「な・・っ、・・・そんなに邪魔なのか!?」
「邪魔です」
がーーん、という擬音語が頭の中で鳴った。
眼の奥がツン・・として、劉備は喉の奥でうめく。
「そ・・うなのか、そんなに邪魔・・か・・私は、そなたの顔が見ていたい・・のに」
「貴方が居ると、私の全身全霊が吸い取られてしまって、まともな判断ができないのですよ」
「・・・全身全・・・へっ?」
「他の者が相手ならば、どれほど難解な用件であっても、執務をしながら話を聞くこともできるというのに。しかし貴方が相手だというだけで・・・どんなにくだらない話でも気を取られて、政務に向うことができなくなって、支障をきたします。政務を取れない私に存在価値などありませんからね。だから、貴方を追い出すしかないのです」
「なっ・・・」
誉められてるのか、けなされてるのか・・・・いや上っ面は100パーセントけなされてるのだが、裏をかえせば、なにか今、もの凄いことを告白されなかったか!?しっかりしろ玄徳。頭を働かすのだ。
「・・・ぅ、その、諸葛亮・・・」
・・・・・・衝撃すぎて真っ白だ。
「なにか、我が君」
諸葛亮の我が君・・・っていうの。なにかこう・・特別な響きがある。官能的というか、ちょっといかがわしい・・・というか。いや待て!玄徳!!そんなことを考えている場合じゃない!
「政務を取れないそなたに価値がない・・・などと言うな、諸葛亮」
い、いや、言いたいのはそんなことでは・・・いや、良い、言ってしまえ!!
「そなたに価値がないはずがない諸葛亮。たとえ政務など取れなくとも。だって私は、す、すきだ、諸葛亮。そなたは私のさいあいの」
ガラッ
「待たせちまったですな劉備様。もうすぐ出来上がりますぜ。おや、新手のお客さんですかい。追加してこなきゃならねえな。ええと、あとお二人さんですかい?合わせて4名さんか。ちょいとお待ちを」
ガラッ
「殿、軍師殿」
店の奥の扉から現れた、前掛けをした熊面の店主に声を掛けられ。
店の表の扉から現れた、蒼鎧をまとった端麗な武将に声を掛けられ。
一世一代の大告白をぶちかまそうとしていた劉備は、ピキリ・・・と固まった。

   
 






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(2013/9/23)

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