相思1 趙孔(私設)

 


きっかけなんて、ないようなものだった。なりゆき、というのがふさわしい。
強いていうなら、雨が降っていたから。
そういうようなものだった。



乾いた手が頬に置かれて、孔明はゆるやかに覚醒した。
すこしのあいだ気を失っていたらしい。
まばたくと、睫毛に絡まっていた雫がこめかみのほうへ流れ落ちた。それを男の手がぬぐう。涙の痕に、彼は眉をひそめたようだった。
「無理を、させましたか」
いえ、と答えようとしたが喉がかすれて声にならない。かわりに首を振ろうとしても、強張っていて動かなかった。その様子が頑なに見えたのであろうか、対する男は、ますます眉をしかめたようだった。
身体が動かない。全身が痺れたようになっていた。
動かない身体の中であらぬ一箇所だけが熱くくすぶっていて、昨夜のことが夢ではないのだと知れる。身じろぐと其処が疼いて、切なさがこみ上げた。
全裸であることに気づいて孔明は布を掻き寄せ、ゆっくりと身を起こす。するりと髪が肩から胸にながれて、うつむいた頬にもすべり落ちた。
落ち着きを取り戻すようにとおのれに言い聞かせ、やっと声を出す。
「雨は・・・まだ降っていますか」
「ええ」
立ち上がった趙雲が、粗末な布きれで覆われている蔀を上げた。ざあっと地面を叩く雨音が流れこみ、一緒に寒気も入ってきて、孔明は思わず肩を震わせる。
下袴だけを穿いた趙雲が振り返って目が合ったが、お互いに無言で、先に目を逸らしたのは孔明だった。
「お寒いですか。蔀をおろしましょうか」
「・・・・・」
明け方であろうとも、もう一度蔀をおろせば、部屋は夜に逆戻りをするような暗がりになるだろう。
全裸でいた孔明の肌は冷えていた。布を掻き合わせても、ぬくもりは感じられない。
部屋をもう一度夜に戻せば、趙雲は、隣に戻ってくるのだろうか。
「孔明殿」
孔明はすこし動転した。あざなで呼ばれることには慣れていない。
「はい・・」
「夕べのことを後悔しておいでですか」
「そのような――」
「――初めて、だったのでは」
「・・・それは、」
戸惑って趙雲を見た。趙雲もじっと孔明を見ている。
どうしてそんなことを言い出したのか分からなかった。
「初めて・・だと、なにか問題があるのですか」
趙雲が不快げに顔をしかめたのを見て、気づいた。
「初めての者が相手で、趙雲殿は、悦くはなれなかった・・のでしょうか」
眉を寄せた趙雲が息をつく。
「俺の快など、どうでもいいことです。それよりも――」
趙雲がひたと寝台に寄って、孔明は息をのむ。
雄雄しい躯。
どんな豪奢な衣服にも勝る、実戦によって鍛えられた武人の体躯。ところどころに残る傷が、彼の戦歴を物語っている。そこには虚飾などかけらもない。
人の身体がこれほど雄弁に、その者の生き様を語るとは思っていなかった。
それに、同性の裸形がこれほど胸の騒ぐものだとは。考えたこともなかった・・・
それに比べて、己は―――
そっと布を手繰り寄せて、身体を隠す。長身であるとはいえ鍛えたこともなく、武人にくらべたら貧相である。
それに、趙雲の顔をまともに見れなかった。
昨夜はじめて床をともにした。ほとんど、なりゆきだった。
熱い体躯を思い出すと、目がくらみそうになる。
もちろん合意の行為だった。だがその意味となると、心もとない。
孔明は趙雲に惹かれているが、趙雲はそうではあるまい。
女のいない戦場において、男色はよくあることと聞く。溜まった欲を排出する手段なのだと。
だから情交があったからといって、遊びとまではいうまいが、それほど本気に、自分のことを好きだとか・・・ということは、考えられない。身体を重ねたという事実に、重い意味を持たせることを、孔明は自分に禁じた。
苦しい。
でも好きだと、すがりたくはない。
軍の総帥である劉備に三顧でもってむかえられた軍師に恋情など打ち明けられたら、趙雲は困るであろう。
どのみち、彼の妻になれる身でもない。

寝台に近寄った趙雲が歩を止めて、孔明は身をすくめた。
身体を重ねたことで、想いは成就したといえる。初めてだった。
後悔はしていないが、でも苦しい。
これから趙雲に対してどう振舞ったら良いのだろうか。
むろん、馴れ馴れしくするつもりはない。でも一度彼によって開かれた身体は、彼の気配を感じるたびに彼を求めてしまう気がした。
現に今も・・・体温が感じられるほど近づいた趙雲に、心が騒いでしょうがない。
どうしたらいいのだろうか・・・?








頬の手を置くと、まやかしのようにしずかに黒眸がひらいた。
睫毛に絡まっていた涙がこめかみのほうへ流れ落ちる。涙が己を無体を責めているようで、趙雲は拳を握りしめる。
無理を、させたのだ。
ゆうべはじめて身体を重ねた。
途中で初めてだと気づいたが、止められなかった。よしないことをしてしまったと、らしくない動揺が湧いて出る。
後悔しているか、という問いに、彼は明確に答えなかったが、悔いていないわけはあるまい。受け入れるのがはじめてで快など得られようはずはなく、まして、――恥ずべきことだが、相手のことをそれほど思いやった行為をしなかったように思う。
現に、こちらを見ている軍師は不安げに瞳を揺らしている。
「初めて・・だと、なにか問題があるのですか」
やはり間違いなく初めてだったのだと、憂鬱になった。もう少し優しく抱くなり、やりようがあったのだ。おのれの変調が不快で、趙雲は顔をしかめた。
「初めての者が相手で、趙雲殿は、悦くはなれなかった・・のでしょうか」
悦いも悪いも・・・それどころではなかった。なめらかな肌が寝台の上で汗ばむのに情欲が湧き立ち、理知しか宿さないと思っていた瞳が色に染まるのに呑まれ、余裕をなくした。
思い出すだけで理性が焼き切れそうになり、趙雲は眉を寄せた仏頂面で息を吐いた。
「俺の快など、どうでもいいことです。それよりも――」
間違いなく傷をつけていないということを、確かめなくてはならない。

近寄ると軍師は顔をそむけ、からだを隠そうとしてか布をたぐりよせている。
粗末な布にくるまれていても、その姿は整っていた。潔癖なまでに白い肌は、ほのかに発光しているようにさえ見える。
これは単に、容姿が整っているだけではない。彼にしかないものが、その魂の内側からこぼれ出ているとしか思えない。
人の身体がこれほど、その者の精神のありようをにじみださせるとは思っていなかった。
それに、同性の裸形がこれほど胸の騒ぐものだとは。考えたこともなかった。

だが軍師は一歩寄るごとに萎縮したように身体を固くし、身をすくませる。
それほど怖がらせたのかと、舌打ちのひとつもしたくなる。
「孔明殿」
「はい、・・」
なるべくそっとしたつもりだが、肩に触れると震えだした。
「冷えておられますな」
かきあわせている布は、肩を覆ってはいなかった。流れこむ空気は冷えていて、彼の肌が白いせいでますます寒々としている。布を引き寄せて自分の身体ごと彼を覆うと、はっと息をのみ、やがておそるおそるというように身体を寄せてきた。
期待してしまいそうになる。彼は、ただ暖を求めただけだろうに。
趙雲はあらためて布を広げなおすと、軍師の身体を余すところなく覆い、そのまま寝台に押し付けた。震える吐息を漏らして孔明はされるままになっている。
冷気が入り込まぬよう、趙雲は孔明の背を抱いて痩身を引き寄せた。
「雨が・・ひどく降っているようですね。音が・・・」
「ええ」
「い・・まは・・作物の農耕時期ですから、あまり雨が降ると民が難儀いたしましょうに」
「孔明殿」
ぎこちなく言葉をつづける唇に、趙雲はおのれのそれを重ねた。
雨音がいっそう深くなる。
はじめ逃げようとした軍師はやがておずおずと応えはじめた。趙雲はあまり口づけは得意ではない。身体を重ねる性技はそれなりに長けているのだが、いきずりの遊女と口を重ねることはないので、口づけを交わした経験がない。
雨音を聴きながらの口づけは甘かった。好きな相手とだからかもしれない、と気づいて趙雲ははっとした。
好きな、相手―――ー――――――・・・・・・・・・・・
「趙雲殿・・・」
吐息さえも甘い。呼びかけられる名も、甘かった。

己の不覚に気づいた趙雲は陰鬱なため息を吐いた。
身体を重ねた。きっかけは、なりゆき、としかいいようがない。雨が降っていたから、とかいうあいまいな理由しかなかった。
抱いてから、好いていたことに気づくとは、順番が違う。なんと馬鹿なことをしたことか。
雨音に惑わされて、膚のしなやかさに目がくらんで、とんだ間違いをしでかしたものだ・・・取り返しがつくのかどうか、見当もつかない。
大切にしたい。だが。
これから彼に対して、どう振舞えばよいのか。
むろん、馴れ馴れしくするつもりはない。
だが、そうだといって。
己の下で乱れる姿を見てしまった。喘ぐ声を聞いてしまった。膚の手触りを知ってしまった。
この先、平常に向き合えるのだろうか。
・・・どうすればよい?






趙雲は重い気分で眉間に皺を寄せ、いまさらに好きだと気づいてしまった想い人の頬を両手ではさんだ。しばらく眺めてから、その身体をうつ伏せにする。
「・・・?」
「すこし我慢してください」
苦い声で言って身体ごと下へと移動した趙雲は、軍師の下肢に手をかけた。
放心していた孔明は、うつ伏せにされたのはともかく、双丘に手を掛けられたことに狼狽を隠せない。
趙雲は双丘をそっと左右にかきわける。
ひっそりと息づく狭間・・・夕べ趙雲を受け入れた奥処は腫れ、赤みを増しているようだった。見たところ、傷ついているようには見えないが・・・
下肢に息がかかるのを感じて息を呑んで羞恥に打ち震え、孔明は敷布を掴んでいた。
どうするのだろう・・・まさか、もう一度・・とか?
しかし其処は鈍痛に疼いており、いますぐにもう一度受け入れるというのは、怖れしか感じない。
「・・・痛みますか?」
苦々しげな趙雲の声に、反射的に首を振る。息を詰めているため、声を出す気にはなれなかった。
「本当ですか?」
疑わしげに再度問うた趙雲は、舌を出して其処を舐めた。
「ぃ、――や・・!」
息を詰めていた孔明は、予想もつかない行為に悲鳴を上げた。
這ってでも逃げようと思うのに、腰を掴まれていて叶わない。趙雲はなおも舌を這わせ、そこを潤していく。孔明は弱い声で懇願した。
「やめ、て下さい・・・、趙雲殿」
「・・・念のため、薬を入れます」
趙雲は身体を伸ばして、寝台の横の卓の引き出しから膏薬の壺を取り出した。傷を負ったときに塗るもので、傷口を膿まさない為のものだ。切れてはいないようだが、毒消しをしておいて悪いことはないだろう・・。
身体が離れたすきをついて軍師が逃れようとしているのに気づいて、無造作に引き戻す。ひどく震えていて気の毒であるが、なおざりにはできない。
中指に薬を塗りつけた趙雲は両手の親指をかけて、震えている其処を大きく開かせた。
指一本をゆっくりと根元まで収められて、孔明は背を突っ張らせる。
「ぃや、・・・・ぁっ・・・!」
慎重に指が進められ、ぬめりのある膏薬はひそやかな音を立てて後孔へ送り込まれていった。夕べ趙雲のものを受け入れて、敏感になった箇所である。まず痛みが突き上げて孔明は硬直した。夕べの記憶が閃光のようにひらめく。趙雲は荒々しかった。普段の彼とは、別人のようだった。自分の身体がすこしは彼の欲情を掻き立てたのかと思うと、情が堰を切ってあふれ出す。情がわきおこると、趙雲が触れている奥処に、痛み以外の感覚が湧いた。
息を呑んで震えていると、入れられただけだった指がゆっくりと動き出す。
鼻につく匂いから、薬だということは分かる。
趙雲はただ薬を入れているだけだ。理性的に対処しなければ、と焦れば焦るほど理性が飛び、正常な思考が霞のかなたに消えていく。
「ぅ・・ふ、く・・」
身体の奥から淫靡な感覚がにじみ出てくるのに耐えていると、趙雲が中で指を回した。
「ひ、ぁっ・・・!ぁっ、・・・や、・・やめ」
「そんなに・・・抗わないで下さい」
苦りきった趙雲の声が、なお情けなさを助長した。
趙雲は傷つけてないかと気にしているのだ。孔明は敷布に顔をうずめて声を殺した。






泣き声はやんだのだが、くぐもったむせび泣きに変わって、趙雲はさらに苦く顔をしかめる。薬を塗るだけのつもりが、酷い責め苦を強くことになってしまった・・・。
厳しく唇を引き結ぶと、趙雲は身をかがめ、こわばる背に口づけた。軍師は敷布に頬をすりよせる。
震える吐息が吸い込まれて、次に吐き出されるときには、なまめかしく潤んでいた。
あえかな喘ぎに感じ入った趙雲が唇を寄せてうなじを吸うと、白い背が反って、呑みこんでいる趙雲の指を締め付ける。
理性が切れそうになる。
震えているここに、別のものを埋め込みたい。
弱弱しい嬌声では足りない、もっとはっきり喘がせたい。
狂うほどの快を感じさせて、泣きながら求めさせたい―――
趙雲は顔をゆがめる。
なにを考えている。
これは自軍の軍師だ。主公である劉備が掌中の珠とも鍾愛する、天賦の智者だ。
それを、なにをしたいと考えている。
優しく抱きたいとさえ思っていない。
細手を押さえつけ寝台に縫いとめて強引に奪い、身も世もない悦楽におとしめたいと思った。
なんと、いうことを―――・・・・


降って湧いたようなおのれの獣欲に、趙雲は呆気にとられた。
雄としての欲はそれなりにあるが、それは適当に吐き出せれば良いというような、醒めたものだった。
それが―――
薬を入れ終えた趙雲は指を抜いて、静かに仰向けに向きをかえさせ、抵抗のすきを与えないように素早く、花芯を口に含んだ。
「なっ・・・!趙雲・・殿・・!止めて下さい・・!」
脚を割り広げてなにもかもさらけ出した格好に、涙混じりに拒絶を訴えるのだが、甘すぎる刺激に目の前が霞がかり、快楽が耐えられない。
可憐な色の花芯を深く含んだ趙雲は、それをそっと喉の奥まで導いた。口に包みこみ、やわらかく吸い、舌を使って舐め上げる。溢れる温みを感じれば舌で先端を丁寧に吸い、愛撫を重ねた。
湧き上げる快感に孔明は首を振った。
「う・・ぁ、」
しっとりと濡れたような膚の扇情はいうに及ばず、含んだ花芯の熱さから、抱え込んだ脚の震えから彼の快と戸惑いが伝わってくる。
感じてはいる。なんと素直な身体かとも思う。だが心は許していない。
奥底にひそむ感情を、本当に持っているのかといまだに信じられない彼の欲情を引きずり出してやりたくなって、趙雲は膝裏に手をかけて華奢な脚を折り曲げて開かせた。
羞恥にまみれた泣き声をあがったのを気づかないふりをしていっそう深くくわえ込み、丁寧な愛撫をほどこす。熟れた果実のような花芯も上擦る吐息も、とろけるように甘かった。








羞恥にまみれた悲鳴と共に吐精した孔明は、手の甲で口をぬぐいながら身を起こした趙雲を、潤んだ目で見上げた。
信じられない。男のものを口に含むなどと。――しかも、精を飲み下すなんて・・・
いやな考えが浮かんで、孔明は凍りついた。
・・・慣れている?
趙雲は、慣れているのだろうか。
男の身への愛撫を行うなど容易くできることではない。少なくとも孔明には出来そうもない。それを易々と行う趙雲は、よほど手馴れているのだろうか。
そうとしか、思えない。慣れているからこれほど躊躇ない、巧みな愛技ができるとしか――・・・
「孔明殿・・・」
趙雲が手を伸ばしてくる。
「・・・・・」
思わず振り払ってしまっていた。
瞬間、後悔する。
慣れていようが、孔明には関係ない。そう・・関係ないのだ。
必死におのれに言い聞かせても、切なくも苦しい。
濃やかな愛技の甘美さが一転して、身を切るように責め立てた。


まるで汚らわしいものであるように手を振り払われて、趙雲は愕然とした。
甘い喘ぎがまだ耳に木霊しているというのに、この落差は何なのか。
顔色を失った表情は固く、ふれあいどころか、言葉さえも拒否する風情だ。
獣欲を見透かされたか、と趙雲は内心で凍りつく。
彼はずっと拒否の言葉を吐いていた。心が此方を向いていない証拠に思え、いっそう強引な快を与えたが、それが悪かったのか。
思えば、男の身で愛撫を受けるなど容易くできることではないのかもしれない。少なくとも己には無理だ。
ともあれ相手がこの軍師でなければ、いま少し自重できたものを・・・。





言葉が見つからず、趙雲は黙然と寝台を降り、衣をまとった。
外はもう夜明けの薄明かりだ。同じことに気づいたものか、軍師も悄然と己の衣に手を伸ばしている。裸身があっさりと隠されていくことに歯噛みしたくなるが、どうすることも出来ない。
雨音はもう聞こえなかった。

このまま別れてしまうのかと思うと、やりきれない。身支度を整えた趙雲は少し考え口を開いたが、こぼれ出たのは愚にもつかぬことだった。
「・・・・数日後には視察に出られるご予定でしたな。警護はお任せください」
震える指で悪戦苦闘に衣を調えていた孔明は、冷静この上ない言葉に驚く。
いつ・・?あぁ、数日後・・・数日後のことなど、考えられない。
必死で考え、声をしぼりだした。
「・・・調練はどうするのですか。ここ10日ほどは通しで、新兵の訓練を行うと聞いておりますが」
「・・・1日くらい張飛に預けたところで支障はでません」
「・・・訓練の初期に他の武将に預けるというのは、支障ないものなのでしょうか」
「・・・張飛の強さと野放図さに一度慣れさせたほうが、あとで指示が出しやすいのです」
「そ・・うですか」
全身から力が抜ける思いだった。
はじめて身体を重ねた者同士の会話とはとうてい思えない。
聞きたい。
貴方はわたしのことをどう思っているのですか―――と。
だけど聞けない、そのような女々しいこと。

一晩中降り続いていた雨は、あがったようだ。
雲の切れ間から朝日がさしこんで、軒から垂れる水滴をきらめかせている。
(雨の夜の、・・・・一夜の夢なのかな)
「将軍がそう思われるならば、よろしいようになさってください」
「では、その日は居室のほうに迎えに上がりますゆえ」
「日程を決めてご連絡しますので、お願い致します」
孔明は辞去することにした。これ以上会話を交わしていては、あらぬことを口走りそうだ・・・


なんともいえず趙雲は、暗然とした心地をもてあます。
軍師のこの理知的な受け答えはどうであろう。つい先ほどまで己が下にいた人と同じとは思えない。
それに、どこか拒絶されているように感じるのは、気のせいではないだろう。
軍師は明らかに心を閉ざしている。
肩を掴んで揺さぶりたい。
あなたは、俺をどう思っているのかと。
だが―――そのような無様な真似を、するわけには――・・・

しぶる軍師を説き伏せ、彼の私邸まで送り届けることにした。
夜が明け、朝日がきらめく。
明けない夜は―――ないはずだ。そうだ。そのはずだ。
だが当の軍師が此の方を見ないのでは―――
(まさか雨の夜の、・・・一夜の夢になるのか)
趙雲は無言のまま、短い礼を済まして別れた。会話を交わしたら、あらぬことを口走りそうだったから。



(2013/7/21)

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