相思3 趙孔(私設)

 


「お、張飛と趙雲が戻ったようだぞ」
「は・・・」
主君・劉備の室にて密かな談義をおこなっていた孔明は、言われて耳をすませた。
この陣営で、劉備はもっとも耳が良い。
人より耳が大きいから良く聞こえるのだ、と本人が言い、周囲も納得しているが、孔明はひそかに疑問に思っている。
大きいのは耳たぶにあたる部分であって、耳の穴の大きさは、常人と変わらないように思えるのだ。
何事につけ探究心の強い孔明は、ときどき、主君の耳をびろんと引っ張って詳細に究明したいという衝動にかられるのだが、いまのところ実践していない。
どちらにせよ主君の耳の良さと早さは、間違いないことである。

張飛と趙雲はしばらく、新兵に軍としての基本的な訓練をつける為、野外で調練をおこなっていた。
新野を出、行軍訓練もかねて歩兵の速度で10日ほどかかる場所まで移動して、その地で次の段階の修練を積むという日程だった。
調練も大規模になると、支度は戦と変わらない。
つつがなく行程をこなし、予定よりもすこし早い二ヶ月ぶりの帰城である。

やがて孔明の耳にも、久方ぶりに戻ってきた武将たちをねぎらう賑わいが聞こえてきた。兵たちがわっと沸く声が聞こえる。
劉備と並んで楼閣に出ると、気づいた張飛と趙雲が、兵に整列をかける。
打ち鳴らされる銅鑼の合図により、ざ、と兵がならび、ふたたびの銅鑼の音にて、揃って矛をかかげ、また合図により矛を下ろす。
整然とした動きだった。調練はよき成果を上げている。
最後尾から2頭の馬が駆けてきて、砂煙をあげて最前列にてとまった
見事な葦毛を駆る張飛、清楚な白馬を駆る趙雲・・・ふたりは図ったような鮮やかさで同時に下馬し、劉備にむけて拝礼する。
二ヶ月ぶりに目にする想い人は、また一段と精悍さを増したようだった。兜をかぶっていない額には白い布を巻いて頭部でまとめてあるが、額ぎわのあたりに鋭利な影ができていて、落ち着いた表情のなかにも鋭いものが含まれている。
それに顔半分が髭に覆われていて、なにか別の男のような―――
胸の内が痺れたようになって、それ以上見ることができない。

「よく戻った二人とも。報告は後で良いな・・・孔明?」
主君に振られて、孔明はうなづく。
先に着いた伝令によって、問題なく調練は終わったと報告を受けている。あとは、馬が足りないとか、武器を補充して欲しいとかいう細かい要望が上がってくるだろうし、熟練度であるとか陣形がどうこうという戦術的な打ち合わせが必要だが、それは後日、落ち着いてからのほうが望ましい。
その場はそれで解散ということになった。
「まずは風呂だな。ははは、二人ともそのナリで城を歩いたら、山賊と間違われて侍女らに悲鳴を上げられてしまうぞ」
愉快げな笑いに劉備が肩を揺らすと、もともと虎髭をはやした張飛は「風呂より二ヶ月ぶりの酒が先だぜ兄者」と叫んだが、趙雲はすこし気にしたように無精ひげに覆われた顎をぞろりと撫でている。
その仕草がひどく男っぽくて、居たたまれなくなる。
盗むように見ていると、ちらりと趙雲もこちらを見て、孔明はすっと視線をはずした。
山賊というには趙雲の雰囲気は落ち着いてどっしりしすぎているし、沈静な表情もまたしかりである。
だが布を無造作に頭に巻いて、髭をたくわえた趙雲は野性的で、胸がざわざわと騒ぐ。
どうしよう・・・と孔明は途方にくれた。
それに、・・・山賊めいた趙雲に、このままどこぞに攫われてしまいたい。攫われて山中の隠れ家に連れ込まれて、そこで押しひしがれたいという欲求が突き上げてくる。
よくもそんな淫らがましいことを思い浮かべたものだ。
馬鹿なことを。
だが、いとしい。
自分の情欲がやるせなく、しかし外面はごく落ち着いた声音を取り繕う。
「張将軍、趙将軍、ご両名ともお疲れ様でありました。数日ゆるりとお休みになられたのち、軍議をもつことに致しましょう」
孔明は白羽扇をはためかせ、つつましく礼をとった。




趙雲の私邸は、街外れのさびれたあたりにぽつんと建っている。
寝に帰るだけだから手を入れていないので、いっそみすぼらしいほどの陋屋であるが、不自由はない。
張飛につきあってまず腹を満たし、それから2,3杯酒を飲んできた趙雲は、私邸に帰り着いてようやく風呂にありついた。
耳の中にまで砂が入っているような汚れようで、身体をぬぐった布が茶色くなってしまった。湯を何度もかえて身体をぬぐい、髪も洗う。
ごく若い頃から戦場を転々としている趙雲は、汚れていてもべつに気にならない。戦場や調練では兵卒と同様に汚れたままでいるが、城下に帰ってきたならば身綺麗にしていたほうがふさわしいので、そうしているだけである。
粗い布で無造作に髪の水滴をふき取り、生成りの薄い単衣を着て、帯をゆるく締める。
二間続きの私室に戻って、趙雲は立ち止まる。
「・・・・・・・」
ここしばらくの癖になっている、髭の伸びた顎を撫でた。
息を吐く。
疲れていた。そしてそれ以上に―――情欲が、溜まっている。
軍務についている間は、なんとも思わなかった。
だが風呂に入って垢を落とすと、ここ二月のあいだに溜まった性欲が、喉元まで突き上げてくるようだった。
抱きたい、彼を。
浮かぶのは、唯一人の面影だった。
山賊のようだと劉備にからかわれて、とっさに彼のほうを見た。
山賊であれば、彼を我がものにできるかもしれない・・・・どこか人知れぬ山中にでも連れ込んで、押しひしいでしまって。彼が嫌がろうとも快を与えて抱き尽し、自分だけのものにしてしまう―――ひどく甘美で、あやうい想像に趙雲は内心でおののく。
馬鹿なことを。
だが、いとしい。

部屋の中で趙雲は立ちすくむ。
彼を今すぐ抱きたかった。そんな望みが叶うはずがないのに。
いま彼に会えば、冷静でいられる自信がない。
あれほど清雅な彼を、溜まった性欲などの餌食にしていいはずがない・・・。

苦く息をついた趙雲は、藍色の外出着を手に取った。
女を買いに行くか、と暗澹とした気持ちで着物を羽織る。

戦場とは血が熱く滾る場所であり、また冷たく凍りつく場所でもある。戦場を行き来する趙雲は、情欲を溜めるのが面倒で、女を買うことを常習にしてきた。女が好きなわけでも、遊ぶのが好きなわけでもなく、日がすぎると規則的に、戦場に出ると爆発的に溜まる雄としての性欲が、身体や精神になにがしかの影響を与えるのが、わずらわしかった。

帯が見つからず、忌々しく物入れを探っていた時、小走りの足音が近づいた。
「趙雲様。軍師将軍様がおみえでございます」
趙雲は凍りつく。
返答を待たずしてばたばたと足音が遠ざかり、今度は二人分となって戻ってきた。
「さあ、こちらへどうぞ軍師様」

彼は美しかった。
粗末なあばら家に忽然と白梅の雅香が漂ったがごとき立ち姿である。
従者が去りふたりきりになると、ぎこちない空気に部屋に満ちた。




湯浴みをしたのであろう趙雲の結髪はまだ湿っていて、それに触りたいと欲求が浮かぶのが、孔明を落ち着かなくさせる。それに、湯上りの趙雲は胸もとがすこし開いていて、くっきりと鋭角に影を描く鎖骨あたりの逞しさに、まともに見ることもできない。
趙雲は着痩せするたちなのだということに、孔明は最近気づいた。衣服をまとっているときはすっきりと姿の良い長身で、落ち着いた貫禄があるのだが、衣を肌蹴けた途端ひどく男っぽい。
黙っているのも変だと、ざわめく胸の内を押さえ込んで孔明は穏やかに微笑んだ。
「調練はつつなく過ぎたようですね。兵の動きの機敏で整っていること、見事なものがありました。徴兵したばかりの新兵をあれほど統率できるとは・・・・・・流石のご手練です」
流れる水のような口調が、趙雲の胸にせまった。滾る欲情を押さえるのに必死のおのれと比べて、真摯な表情のなんと清らかなことか。
それに軍師は衣冠を整えているときは神秘的なまで高潔であるが、こうして平服でいると親しみやすく、その分仕草や表情の精彩に富んだうつくしさが際立つのだ。
きりきりと締めつけられる胸中を隠して、趙雲はうなづいた。
「新兵にしては筋が良かったもので、調練はつけやすかったですね」
「といいますと、どのように?」
「前は兵に志願してくるものといえば、村に居られなくなった乱暴者や、故郷を捨ててきたならず者が多かった。しかしこの頃は、村や家族を守りたいと強い意思をもって志願してくる者が多い。心根がまっすぐで、訓練がつけやすいのです」
「それは―――殿のご人徳のたまものでしょうね」
「軍師殿の施政もひと役買っているようですが」
「・・わたしの?」
「殿が仁を敷き、軍師殿が仁にそった政治を行うという評判が広がったので、兵が集まってきているのでしょう」
真剣に語る趙雲の思慮深い表情に、孔明は無理に笑みを浮かべた。
「それならば喜ばしいことですね。といっても、このところ一段と曹操が動きが落ち着かない。江東もなにやら画策しているようですし、兵はいくら集めてもまだ足りない」
「量より質を高めるしかありません」
「それはそうなのですけど――」
座るようにうながされて卓につきかけて、ふと気づく。
「趙雲殿、それは外出着なのでは?どこかに出掛けるご予定なのですか」
「ああ、妓楼に行こうかと思っておりました」



趙雲がこのところあごの髭を撫ぜるのは、考えるときの癖でもあり、また上の空であるときの癖でもある。
実際として趙雲はいまあごひげを撫でていたし、事実として趙雲はいま上の空である。
軍師が静かに立ち上がったときも、まだ少し上の空だった。
「外出の邪魔をして申し訳ない。わたしはおいとま致します」
「はい」
少なからず、ほっとした。当然のこととして名残は惜しい。妓楼など、女など、本当はどうでも良い。欲しいのは彼だ。しかし今は獣欲が強すぎる。
帰るというならば、彼を澱んだ欲情の牙に掛けずにすむ。
「、・・・・」
なにか言いかけた軍師はしかしなにも言わず、彼独特のやりかたで袖をひるがえして背を向けた。
当然のこととして趙雲はあとに従った。
「馬の用意をしましょう。邸まで送ります」
「い・・え。結構です」
「そんなわけにはいきません」
「・・・・・」
眉宇を曇らせた軍師が文官沓をつまづかせた。あばら家のこととて床の敷石がゆるんでいるのかと、趙雲は申し訳なくおもい、腕を伸ばして揺らいだ体を支えた。よほど妙に身体をひねったものか、触れるとびくりと驚くほど身じろぐので、趙雲は細身の身体を強く抱いて支える。
「足をひねりましたか」
「――――」
覗き込むと、顔をそむける。いぶかしく思った趙雲は顎に手をかけようとした瞬間、振り払われた。
軍師の袖があたった拍子に明かりが消えて、ふたりしてはっとする。明かり皿には油が入れてあるので、ひっくり返ると火事になりかねない。が、火が消えただけだった。ただひとつの明かりが消えたので、部屋はほぼ真っ暗になった。
腕の中で息を殺していた軍師がふいに身体を寄せてきたので、趙雲はぎくりと息を呑んだ。
吐息が、頬をかすめる。
かたかたと揺れる明かりの皿でたなびく煙よりも細い声が、趙雲の腕の中で苦しげにつぶやいた。
「・・・わたしでは、女の代わりにはなりませんか・・?」
驚いた。何を言っているのか。
「・・・軍師殿。あなたが女の代わりになど――なるわけがないでしょう」

彼の代わりになど誰もなれない。彼は彼で、唯一のものだ。代われるものなど何もない。
身をすくませて離れようとした身体を、趙雲はとっさに抱きしめる。
嫌、とみじかく叫ぶのに胸苦しさがこみ上げて、気がつくと唇を奪っていた。
趙雲は、口づけが下手だった。
娼婦は客と接吻することをしない。娼婦としか寝ない趙雲は、口づけとは縁がなかった。
軍師のやわらかな口内に触れると、遊女との単調な情交では感じたことのない衝動がこみ上げる。
いつもは守りたいとばかり思っている相手だ。それは職務でもある。
それが、奪いたくなった。蹂躙してすべてを奪いたい。快を与えて屈服させたい。
獣じみた情欲がこみ上げて、趙雲は凍りついたように反応のない相手を力づくで引きずり、寝台に押し付けた。きちりと着付けた着物の襟を力任せに左右に押しひろげて、白い膚に手を這わせる。
慣れない口づけを解いて慣れた作業に入ったせいか、すこし理性が戻ってきた。
趙雲は身体をすこし起こし、下で震える想い人を凝視した。
「抱いても、よろしいか」
拒絶されたら押さえつけて無理やりに抱くつもりであるくせに、いやな言い方だと自分を嘲笑したくなる。
だが、趙雲は真剣だった。
この軍師と身体を重ねるのは初めてではないが、なにか約束のある甘やかな間柄ではない。まして彼は劉軍が三顧でむかえた軍師である。拒んだのを無理に犯せば、明日にでも趙雲は死ななければならない。それとは別に、拒まれたくなかった。死ぬのならばいま死んでもよいから、拒まれたくはなかった。
「・・・孔明殿」
思いの丈をこめて、あざなを呼ぶ。
軍師はうつくしい黒眸をすこし見開き、おそろしげにぶるりと身を震わせて瞳を伏せ、蚊の鳴くような声でささやいた。
あなたが、そうしたいのならば、と聞こえた。
いかにも脅迫して無理やりに言わせたようで、趙雲は奥歯を噛む。
だが、もう止まらない。
趙雲は震える身体にまといつく着物をすべて脱がせると、そっとうつ伏せにした。
顔を見ながらだと、牙を剥いて暴れる己が情欲に手綱をつけられない。
自分もすべて脱いで覆いかぶさり、うなじに唇をつけると、たおやかな痩身は怖れをなしたように震えた。






うつ伏せにされて、ああ、後ろからならば女の代わりになれなくもないのか、と思った。
なにか哀しい。
と同時に、ほっとしてもいた。激しく動揺しているであろう顔を見られずにすむ。
彼がおのれをあざなで呼ぶのは、前に一度あっただけだ。閨の中だった。
だから孔明は彼にあざなで呼ばれると、以前のことを思い出して頭に血がのぼってしまった。鼓動が早くなって苦しくなり、震えてしまう。まして彼との口づけの後でまともな思考など持てるはずがない。
抱いても良いか、と聞かれた。
駄目だといえば彼は妓楼に行くのだろうか。
結局、あなたがそうしたいのならば、と答えた。情交を望んでいるのは孔明の方であるのに、―――趙雲は女を抱きたいのだというのに・・・、まるで趙雲のほうが求めたような答えになってしまった。彼はおのれのことなど求めてはいないだろうに。
恥ずかしさと切なさに身をすくませていると、衣を取った趙雲がおおいかぶさってきた。
叫びそうになる。
湯を浴びたばかりの趙雲の体躯は熱く、皮膚はなめらかで、触れ合っただけなのに情動がこみあげて孔明は激しくわなないた。
髪が掻きあげられ、うなじに唇が押し付けられる。
久しぶりの感触と、以前にはなかった感覚――趙雲の口元に伸びたひげがざらりと背の皮膚をかすめるのが、恐ろしいほどの刺激となって襲い掛かってくる。
「、趙雲殿・・・・・・」
情欲がこみ上げた孔明は上擦った声を上げた。
はやく抱いて欲しいとみだらなことを考えて動転する。趙雲のいない二月のあいだの渇欲が身を焼いていた。職務に追われ、疲れてもいた。彼に抱擁されたい、何も考えられなくなるくらいに。

趙雲は荒く息を吐いた。
彼がなにか言葉を吐いたが、耳に入らない。
貫いて揺さぶりたいという根源からの欲求が湧いてきて、趙雲はひくく呻いた。
まだ駄目だ、間違いなく傷つける。
ぎりりと奥歯を鳴らした趙雲は、つややかな髪をまさぐりながら彼の身体を反転させて、唇を重ねた。
驚いたのか少し開いたのをよいことに舌を滑り込ませる。なにか単語が漏れたようだが、互いの口に呑まれて消えた。孔明が肩に触れてくるのを拒絶の仕草とおもった趙雲は、その手の指に自分の指を絡めて握った。
孔明、と奪うような口づけの合間につぶやく。
響きのうつくしさに冷静さを失い、趙雲は息を乱して深く身体を重ねる。中心同士が触れ合わされて、じゅくりと水音を立てた。
趙雲のものでこすられて、孔明はのけぞった。鳥肌が立つほど快が走りるのだが、同時に男同士であることを強く意識してしまう。
よいのだろうか。趙雲は女を抱きたかったはずなのに。
「ぅ・・ぁ、」
せめて声をこらえたいと思うのに、うまくいかなかった。快感を感じているのが知れたのか、趙雲がかるく腰を揺すってくる。互いの身体の合間に押し付けあって、小刻みに揺らしているうちにずるりと大きく滑り、孔明は喉をそらした。趙雲の手が合間に入り、再び合わされる。その拍子に亀頭が擦り合わされて腰が浮き、がくがくと震えた。
「・・ぃっ、あ、ぁぁっ」
淫靡な感覚だった。それでいて手や口でされたときのような圧倒的な快感ではなくて、もどかしさがつのった。出したいのに、常ではない快の追い方に動揺し、焦燥感が腰を灼くばかりで達することができない。
「趙雲、殿・・・ぁ、ぁ」
睨むような鋭い視線を趙雲は投げかけてきて、厳しく引き締めた口元からひくい唸りを発し、手荒な仕草で孔明を褥に押し付け、繋がったときのように腰を動かしだした。
目をつむって背をそらし、孔明は精を吐く。
自分のものではない荒い息と呻きが聞こえたが、―――孔明の意識はそのまま、失墜してしまった。





目を覚ますと、趙雲が重なっていた。
よく眠っているようで、不安になった孔明が息をしているのをつい確かめたほどの静けさである。
夜明けが近かった。
ぐしゃぐしゃになって身体に巻きついた布をおそるおそる持ち上げると、二人の下肢はあられもなく絡んでいる。
苦心して身体をずらし脚を抜き取り、寝台をおりることに成功した孔明は、火を噴くような思いで自分の着物を羽織って帯を締め、身支度を整えた。
趙雲が目覚めないのが異常だった。卓越した武人である彼は、孔明に寝顔をさらすことなどけしてない。
だが、戦場を駆けたあとの武人は、死んだように眠ることがある。何ヶ月もの野外での調練を済ませた趙雲が、泥のように疲れていることは想像に難くなかった。まして今回は軍の責任者のいえる立場であり、相方が張飛とくれば、気苦労も並たいていではなかっただろう。
顔を見たくてつい訪ねてしまったが、よくないことをしてしまった。
結局、女の代わりにさえなれなかった。児戯のようなあれしきの触れ合いで、趙雲が満足しているとは思えない―――
深く眠っている趙雲の容貌は、静かで雄々しい。
「好きです・・・趙雲殿」
起きているときには言えない言葉をつぶやいてしまうほどに。
長期の調練を終えた趙雲はしばらくは非番が続く。しばらくは会えない。
起きたら今度こそ彼は妓楼に行くのだろうか。
とても悲しいことだが、仕方がない。・・・・・仕方がないのだ。
「よく、お休みください」
つぶやいて、孔明は明け方の外にすべり出た。





目を開けると、すでに日が傾こうかという時刻だった。
一日を眠り潰してしまった。
なにかひどく良い夢を――とても自分にとって都合の良い夢を見たような気がする。
夕べのあれも夢であったのかと思いかけて趙雲は身を起こした。
寝台に己のものではない香が残っている。
分かっている、あれは夢ではない。またよしないことをしてしまった。
獣のように襲い掛かった自分を、彼はいったいどう思ったのだろう。
何故、彼に関してはこうも冷静にならないのか。
趙雲は息を吐く。

もう妓楼などには行かない。行けない。
長期の調練を終えた趙雲はしばらくは非番が続く。しばらくは会えない。―――彼でなくては満たされないというのに。
「――――好き、だ。孔明殿。貴方が・・・」
本人には言えない言葉をつぶやいて、趙雲は窓の外の空を見上げた。








(2013/8/11)

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