相思4 趙孔(私設)

 


「・・・・・宴を?」
「そうなのだ。荊州でも名だの金だのを持ってる豪族やらを集めてな、大々的にやろうと思うのだ。なあに、もうあらかた手配は済んでおってな。お前を通さずに手を回したのは、なんだ、まあ、その――――」
「はぁ、べつに構いませんけど・・・・・」
ごにょごにょと語尾を濁して頬を掻く劉備に、孔明はあいまいにうなづく。

実は、孔明は宴の手配は得意ではない。
戦に必要な糧食の準備は抜かりなく行うし、平時でも民や兵を飢えさせないように食料自給の工夫をすることは得意な方だ。もちろん当たり障りのない宴会の手配はできるのだが。

どんちゃん騒ぎは得意ではなく、浴びるほど酒を飲んで騒ぐということも、酔って暴れたりの馬鹿騒ぎが苦手だという性分が表れるのだろうか・・・孔明の用意する宴会はどこか堅苦しく、文人受けはしても、武将らには面白みのないものらしい。

「わしも雲長、翼徳も一張羅で気張るからな。お前も着飾ってくるのだぞ」
「わたしなどが着飾ったところで、何ほどのものでもありませんでしょう」
「なにを言うか孔明よ。雲長、翼徳に、子龍に孔明――それが揃い踏みに並ぶのだぞ」
にやりと劉備が笑みを浮かべる。

「我が将らがどれほどのものか、我が秘蔵の龍玉がいかほどのものか、流浪の田舎軍団と馬鹿にする奴らに目にもの見せてくれるわ」
「―――趙雲殿も・・・ですか」
「当たり前だろう。目玉だぞ、あれは」
「まぁ、そうでしょうね・・・」

気乗りしないまま、当日になった。
孔明は宴席には出て行ったが、着飾るということまではしていない。
よく打って光沢を出した白絹に灰朱の帯を締めて佩玉を下げ、薄い白袍を纏った。華美はまったく無く、むしろ堅苦しい。
すれ違いざまずんぐりした眼を見開いた張飛に「鶴みてえだなぁ」と評された。けなしたわけではないだろうが、鶴とはなにか年寄りくさい・・・・すこし気が滅入った。

劉備は宴会の企画においては天才であり、劉軍の面々は、宴会を愉しむということにかけては大陸にも右に出るものはない。

劉備は不思議なところがあって、百姓に混じっているときは田舎百姓のおっさんに見えるし、悪友のゴロツキと共に歩いていればどこからどう見てもヤクザ者にしか見えず、兵を率いて先頭に立てばちゃんと軍の総帥に見える。今宵は派手な錦袍をまとっているのだが、士大夫の格好をしていればちゃんとそう見えるから不思議なものだ。

長髯をきれいに梳った関羽はどっしりと劉備の脇を固め、金襴の袍を野放図に腕まくりした張飛は、絵に描いたような豪放磊落に酒を掻き込んでいる。

それから、―――それから・・・・趙雲はといえば。
珍しくも鎧を着こんでいない。
宴席であっても、劉備を警護する意味合いも兼ねて軍装していることが多いのに、今宵は親睦を旨とする宴であるからだろうか、簡易な鎧すら身につけていない。
文様を織り交ぜた灰味の強い淡青の武袍を纏った装いは、引き締まった容貌に、一種の華やぎを添えている。

趙雲が礼式の武袍を着るのはあまり見ないが、それにしても。―――――灰色が地味にならない男もいるものだと、孔明はひそかに嘆息した。



孔明は隅のほうの席でぽつんと居た。

宴の当初は談義を持ちたがる招待客もいて、それなりに談笑をしていたのだが、劉備のほうの接待の歓楽につられて、一人去り二人去りして、そばに誰もいなくなった。

議論は得意だが世間話は苦手だ。宴でもっとも盛り上がる猥談はもっと苦手・・・・ふ、と息をついた孔明はふと眸を廻らして宴席を見渡した。いや嘘だ。宴席を見渡したのではなくて唯一人の姿を探したのだ。

すぐに見つかった。とても目立つから―――ぎくりと目を伏せた。相手も此の方を見ていた気がした。

そんなはずはあるまい、気のせいであろう・・・やや動転した孔明は立ち上がった。
途端、すぐ後ろを歩いていた女人と肩が触れ、短い悲鳴とともに少量の酒が飛び散る。

「まあ、お許しくださいませ」
しろい面が孔明を見上げた。
「あ・・・いえ、わたしが後ろを見ていなかったからでしょう」
「わたくしは、前しか見ていませんでした」
女人は、萌え出でた若葉のような黄緑色の表衣を纏い、淡紫の領巾を羽織っていた。珍しい組み合わせの色合いが清々しく、清楚な印象であるものの、胸元がすこし開きすぎているようにも見えた。

「・・・寒くはないのですか」
「まあ」
襟の合わせ目から取り出した布帛を孔明の白袍に伸ばしかけていた女人は、ふと微笑んだ。面長の顔立ちがやわらかげなものになる。
「厚着では娼妓はつとまりません」
「、ああ・・・・・」
服装から城勤めの侍女ではないと思ったが、宴のために手配された遊女であったのか。

衣をおおきく開けた胸元に小ぶりの翡翠を連ねた飾りが下げている。細身のわりに豊かな胸乳に、目のやり場に困った孔明は裾をさばいてすとんとその場に座し直した。
女人もそばに座り、わずかな酒に濡れた白袍をゆったりとぬぐっていく。しずかな所作に見惚れていると、布を仕舞った女人がにこりと笑んで酒壷を手に取った。

「お詫びに、どうぞ、召されませ」
それまで飲んでいた酒よりもずっと芳純な香りだった。
「これは・・・美味な」
つぶやいてから女人の視線を感じ、なにか気の利いたことでも言わなくてはならない気になった。
「・・・美しい女人に注いでもらったからでしょうか」
世慣れぬ言いざまに気恥ずかしく、頬に朱がのぼる。 「まあ、」と女人は、鈴を転がすように笑った。

「実は、この広間で一番いい酒なのです。内緒ですけれども―――とある、殿方に差し上げようかと思っておりました」
孔明はふと手を止める。
「では、わたしが飲むわけには・・・?」
「よいのです。出遅れたようですから」

女の視線をたどって行き着いたのは、灰青の武袍だ。
礼式の袍で装う武官、文人、名のある豪族のなかにあってもひときわ人目を惹く精悍な武人は、隣に小柄な妓女を侍らして飲んでいた。
場はいよいよ乱れ、男たちが馬鹿騒ぎする輪の中に、遊女が幾人も紛れ込んでいる。中には泥酔して不埒な戯れをしかかる男もいるようだ。

趙雲が女人の関心を惹く男だということは知っている。
黙ってしまった孔明に女が首をかしげ、胸の飾りがしゃらりと音を立てた。
孔明は趙雲から顔をそむけて立ち上がった。この女人は趙雲のことしか見えず前に足を踏み出した。だからぶつかったのだ。
「もっと、お飲みになります?」
「・・・ええ。よければ、貴女も」
「いただきますわ」
涼やかで、甘い香りの酒だった。
孔明は苦く微笑む。
趙雲を慕う女人と隣り合わせて呑むなんて、なんと皮肉なことか――・・・・
今夜はすこし飲んでしまおうかと、孔明はこくりと酒を含んだ。





酔いが回りに回ったかに見えた広間に、不可思議なざわめきが広がった。
宴席の隅の目立たぬ席に、それでも目立つ高雅が在る。

招待の客は先を競って彼に話しかけ、そして返り討ちにあったようだ。
才知の深さ鋭さ、語る言葉の清廉さは、酔客の相手になるには清冽すぎるのだと、趙雲には分かりすぎるほど分かっていた。

彼を知れば知るほど、唖然となるほどの明晰さなのだ。それに彼の語る言葉にはあまりにも私欲がなさすぎる。無欲で清らかに澄んでいて―――清すぎる水に魚は棲まぬというが、欲得にまみれた人間にとって、彼は潔白にすぎて、向かい合ってはおれなくなる。
鶴のようだ、と評した張飛は正しい。劉備の取り巻きが企画しただけあって、ひどく猥雑に乱れた宴席において、はきだめに鶴としか言いようの無い存在なのだ。

その白袍に、いま翡翠の色が寄り添っている。淡い緑にほの白がかった薄紫の布帛を肩に羽織ったたおやかな女人。娼妓というにはなかなかの気品―――もっともそのくらいの容色でなければ、あの白玉の隣に座そうなどとは思わないだろうが。



「あまり、見ないでくださいまし」

視線を下げると勝気な瞳と目が合った。黒目がたいそう濃い大きな瞳が、まだ幼い容貌の中でひときわ黒々と、きつく睨みつけている。
「其方の指図を受けるいわれはない」
ふん、と妓女は鼻を鳴らした。
「どこまで無粋な男なの。妾が隣にいて他所ばかりを見ているなんて、気がきかないにもほどがあるわよ」
「文句があるならよそにいけばよいだろう」
趙雲はうんざりと吐き捨てる。ほかに男はいくらでもいるのだ。

勝手に寄ってきたくせに、この妓女はさきほどから趙雲を睨みつけ、悪し様に罵るばかりである。笑みをこぼすわけでも媚を売るわけでもなし、唯一妓女らしいことといえば、酒杯が空いたら酒を注ぐことくらいだ。

白袍の軍師が席を立とうとして女人とぶつかった瞬間、趙雲は席を立とうとした。それを止めたのがこの少女だ。
黄みの強い朱色の表衣が、真っ直ぐな黒髪によく映えていた。着物の色も着方も、顔立ちも、なにもかもがくっきりとした少女だった。

見るなもなにも、広間の誰もがちらちらと隅に目をやっている。一人でいるだけで目立つのに、着飾った遊女が寄り添っているのだから、視覚的衝撃は計り知れない。だいたいあの軍師は普段、娼妓に酒を注がしたりはしないのだ。
誰もが見ている中でこの妓女は、広間でただひとり趙雲だけが彼を見ているかのように非難する。
「あまり、見ないでくださいまし」と、彼女はいったい何度言ったことだろう。

「だって、妾は見ることができないんですもの。こんなに見たいのに!」
「なぜ」
「―――あんまりどきどきして・・・・」
妓女が頬を染める。ふくらみに欠ける薄い胸を両手で押さえるしぐさは幼く、事実、そうとう若いのだろう。
「遠目で見るだけでも胸がつぶれそうなのよ・・・近くで見たらどうなってしまうか分からないわ」
「まさかとは思うが・・・・・軍師殿は、其方の客なのか?」
この少女とあの軍師との接点がどうにも読めない。
まさか―――遊里に足を運んで・・・・抱いているのか、このようないとけない少女を。
問いに妓女は軽蔑しきった目を趙雲に向けた。
「まさか。あの方は客として色街に来たことなんかないわ」
「そうか」
趙雲はあからさまにほっとした。
「視察ではあるわ、何度か。視察だなんてやってくる役人なんか、みんな薄汚い奴らばっかりよ。目的は色と金だけ。難癖をつけて女を差し出させて遊んで、金品を巻きあげようとするの。色ボケしてるくせに、妾たち妓女や遊女を蔑んで人間扱いしやしない。―――でも、・・・あの方は違ったの」

それは違うだろう。
色と金など、もっとも彼から遠いような物だ。

「あの方は花街の路を整備してくださった。下水が道に溢れないようにする方法を考えてくださった。―――おかげで病にかかる者が減ったわ」
「そう、――か」
新野とその周辺は、彼が着任してから見違えるほど整えられている。
劉備はここを本拠にして立つという意識はあまり無く、彼にしても同じだろう。
それでも、彼は治世にまったく手を抜いていない。どのような悪所にも自ら出向き、行政の手腕をふるっている。そのせいで民からの信はいやがうえにも高まっていた。
「それに―――それに妾のようなものにも声をかけてくださって・・・」
つづく妓女の言葉を素通りさせ、趙雲は酒を含んだ。

「でも、・・・本当はあまり色街になど来ていただきたくないの。大きな店には豪族もやってくる。それは・・・・・危険だわ」
民に信を得るおかげで、土着の豪族からは煙たがられることが多い。
まして劉備は、帝と漢王室を擁護する立場を明らかにし、北に急速に勢力を拡大する曹操と敵することを、宣言している。もとからその気運はあったが、あの軍師がきてからさらに明言するようになった。荊州の豪族の中に敵愾心を持つものが出て当然だった。
だが、
「どれほど危険があろうとも、あの軍師は止まらないだろうな」
そして――彼を守るのは自分だ。
彼の見るもの、彼が切り拓き目指す道――戦場の最前線で、そして隣で、後ろで、槍となり盾となり守る―――それは誰にも譲れない。

「ちょっと」
女がにらんだ。黒目がちの瞳がますます大きく見える。
「あの方のことなら何でも知ってる、みたいな顔しないでよ!」
掴みかからんばかりの勢いで、女が趙雲の武袍に手を掛けた。
「馬鹿なことを言うな。放せ」
あの軍師のことなら何でも知っている―――わけがない。知っていることなど本当に大事なものはなにひとつない。
なんという馬鹿らしい夜になったものだ。あの人を慕う女と顔をつきあわせて呑み、あまつさえ喧嘩を吹っかけられて。
もう呑むしかあるまいと、趙雲はおのれにむしゃぶりつく女を放っておいて、ぐびりと酒を含んだ。







趙雲は妓女と差し向かいにて飲み、なにか話ししている。彼が宴席で妓女をはべらすことはあまりない。むろん鵜の目鷹の目に女が牽制しながら寄ってきて静かなる攻防があるのだが、今宵は、少女のように年若い妓女がぴったり寄り添っているので、他の女がそばに寄れないらしかった。

年若く、小柄な妓女だ。艶やかな黒髪が印象的だった。遠目にも、朱色の衣をまとった姿のよさや、目鼻立ちやあざやかさが目を惹く。もうすこし成長すれば、さぞ見事な女人になるだろう。

精悍な武人とは好対照であるその妓女がなにか言って、趙雲の武袍に手を掛けた。睦言にしてはすこし様子がへんだが、まだ年若い娘のことだ、趙雲の男振りに惹かれて、すこし聞かん気になっているのかもしれない・・・・あまりに親密そうな様子に孔明は目を伏せる。

孔明は隣の女人が同じものを見ていることに気付いた。同時に、女もまた、自分と同じものを軍師もまた見ていたことに気付いたようだった。
女が何か言いかける前に、孔明は尋ねていた。
「―――趙雲殿は、・・・・貴女の客なのですか」
「そうお思いになります?」
「失礼を。立ち入ったことを聞くつもりはないのですが」
気にならないといったら嘘になる。果たしてあっさりと女は答えた。
「昔のことですわ」

趙雲の妓楼通いは、普通のこととして城中に認知されている。わざわざ女を買いに行くというのは、実は品行方正な行為だ。
欲を溜めては城勤めの下女や召使いの女を無理に犯し、あるいは村娘を襲ってさらうなどする輩は多い。殺伐とした世ゆえ厳罰に処せられることもないからだ。

「そうですか・・・」
「軍師様には、なにか言いたいことがおありのようですが・・・?」
おもわせぶりな眼差しを寄越す女に対して、孔明は微笑んだ。
「いいえ・・・似合いだな・・と思いまして」
あるかなきかの微笑を向けられた女は一瞬息を止め、苦笑をのぼらせた。
「狭量な方ですわ、あの方・・・心がとても狭くて、心に留めていらっしゃることが、普通の方よりもずっとずっと少ないのです。大事なものがほんの少し。あとはどうでも良いのです」
「それは――」

・・・確かに趙雲にはそういうところがあるかもしれない。
大事なものは、劉備。忠と武と―――それ以外のものは趙雲にとって、本当にどうでも良いのかもしれない。
「どういうものなのでしょうか。そういう人を好きになるというのは―――」
「あら」
女が酒を干す。孔明は酒を注ぎかけてやった。それもひと息に飲んでしまう。清楚な顔に似合わず酒に強い女人だ。注し返されて孔明も飲んだ。

「好きになることが・・・苦しいのでは、ありませんわ・・・。自分がその特別なものになれないのが、悔しいのです」
女人はふっと笑みを浮かべた。
「泣いてもわめいても、酒を頭からぶちまけたって、あの方は表情ひとつ変えないでしょうよ。怒った顔くらいはするかもしれませんわ。ですが、心に波一つ立つことはありませんでしょうね」
「そうでしょうか・・・」
孔明がふと顔を上げると、何人もの顔と目が合った。
どうやら悪目立ちをしているようだ。美しい娼妓と酒を酌み交わすなどと、慣れぬことをするから・・・・

「・・・軍師様。場所を変えません?わたくしは先ほどからずっと思っておりましたの、二人きりになりたいと・・・・」
娼妓が男と二人きりになる意味など、普通はひとつしかない。
「・・・わたしが相手で、良いのですか?」
返答のかわりの笑みを得て、孔明は立ち上がり、酒杯を置いた娼妓がもたれかかるように寄り添う。
周囲がざわめいた気がするが、あまり気にならなかった。
少し、酔ったかもしれない。





広間がざわめきたった。
軍師が、席を立ったのだ。横に娼妓をはべらせて。娼妓を連れて宴席から離れる意味など、普通はひとつしかない。
「――――・・・・・・」
つかのまの沈黙が降りる。
白衣の去った扉を睨みつける趙雲のかたわらで、若い妓女がぼつりと言った。
「・・・女将に上客をつかまえろって言われてるの。どうせ誰かと寝なくてはいけないんだもの。今夜はあなたでもかまわないわ」
睨みつけていた扉が開いて、目をすがめるが、入ってきたのは泥酔した豪族だった。ふらふらと喧騒の輪の中に入っていくその太った男を、趙雲は親の敵のように睨み、つぶやいた。
「あの方と寝ようとは――思わないのか?」
「引っぱたくわよ」
即答である。
「・・・女を買う男だったら、良かったのに。あの方は、想ってもない相手とは寝ない―――・・・・寝ることができない、そんな気がするの」
「どうだろうな」
「なんですって?」
辛辣な口調で言い切った趙雲を、いぶかしげに女が見上げた。
趙雲の表情は苦い。
想ってもいない相手とは寝ることができない――?
そんなことがなぜ言い切れる。現に、ただ雨の夜のなりゆきで、寝た。
節操無しとおとしめる気などかけらもないが、だからといって・・・・あの冷静な軍師が、自分と同じ想いでいるとは思えない。
これほど心に懸かるのは。これほど欲しいのは、おそらく自分だけだ―――・・・・・

一緒に出て行った女は、娼妓だ。衣装からしてそれなりに地位の高い女であろう。金を積まねば買えない女―――逆に言えば、金を出せば誰にでも買える女だ。
「―――あなた、あの女を買ったことがあるわよね。覚えている?」
「あの女?」
「いつも翡翠の首飾りをつけている女よ。名は―――どうせ覚えていないでしょ。いいえ名を尋ねたことさえないのじゃないかしら。どう、違って?」
趙雲は冷ややかに妓女を見下した。
心が波打っている。小生意気な妓女の言い草に、怒りを覚えはじめていた。
「あなたは金であの女を買った。あの方は、心であの女を買おうとしている。あの方はきっとあの女を抱かないわ」
どこか子どもっぽい言いざまに、趙雲は鼻で嘲笑った。奥歯を噛み締める。

彼が女を抱くなど許せない。
誰にも渡したくない。―――自分だけのものに、したい。








(2014/5/23)

次へ ≫

≪ 一覧に戻る