夜の静寂(しじま)に  趙孔(私設)

 


夜更けまで執務をつづけていると、目が冴えて眠れないことがよくある。
内政の政務をこなしているときは、それほどでもない。
民を想い、国を想い・・・・・領土の安寧なることを願えば、いかに政務が多忙をきわめようと心は安らいでいる。

だが軍事のことになると――――
知略をつくして、はかりごとをめぐらせているとき。強い勢力の武力を払いのけようと、奇策を企てているとき。強敵を陥れんがために、謀略を練っているとき。姦計を巡らせているとき。
そんなとき妙に神経が高ぶる。

諸葛亮は、灯した火をじっと見つめた。

戦乱の世はいつまで続くのだろう。
終わりを、この目で見ることはできるのだろうか――・・・・?




その夜最後のひと巻きと決めた書簡を書き終えて筆を置き、執務室の灯りを吹き消して、部屋から出た。歩み出た廊下は静まり返っている。
煌々とした月明かりのなかを、すこし歩くことにした。

深夜の冷気が足元から絡みついて、体温を奪ってゆく。夜の奥底にしんしんと降り積もるつめたい夜気は、いっそやさしいほど執拗にまつわりついた。まるで、抱擁するように―――

自らのひめやかな足音が、静寂に沈澱していくようだ。
夜気の、つめたくもやさしい愛撫に酩酊すれば、気はおさまる筈だった。
回廊をぐるりとひとまわりして気分を変えたら、室にもどって眠るつもりだった。

寒・・・い―――・・・・


これ以上身体を冷やしてはますます眠りが遠くなってしまうと思いつつ、歩みを止めることができかねた。
布製の文官沓はたいして音を立てないはずが、ひたひたと妙に足音が耳に付く。

諸葛亮は唐突に歩みをやめ、立ち止まった。


「・・・だれです?」

問う相手はこたえもせず月光に姿をさらした。
あからさまな寝衣というわけではないが、簡素な着衣は寝乱れたあとがある。それになによりあくびをかみ殺そうともしない、半ば寝ているような表情に、逆に驚いた。

「とっとと寝てください。賊の討伐から帰ってきたばかりなんです」

「それは知っています」

なにしろ、それを命じたのは諸葛亮だ。
まじまじと見る。いつもは眉頭にきりりと力のはいった顔つきなのだが、寝起きなのがはっきりわかる不機嫌さがめずらしかった。
賊の討伐の報告を受けた時は、通常となんら変わらなかったのだが。

「お疲れでいらっしゃる?」

「疲れてはおりません。3日ほど寝ていないだけです」

「はぁ・・・では、どうぞお休みになってください」

「どなたかが夜中に徘徊されたせいで、起こされたのです。それを、1人で寝なおせとおっしゃるのか」

「では、添い寝でもいたしましょうか」

もちろん冗談だった。
趙子龍といえば、劉軍の蒼龍とまでいわれる手練れの武人―――戦歴と同じほどに彼が有名なのは、その女好きのする容貌であった。
彼に恋焦がれる婦女の多いことは想像に難くない。
閨をともにする相手に困ろうはずがない。

「それは是非に」

返されて驚く。

「え?」

「これ以上あなたに深夜出歩かれたらとおもうと、とても眠れない。どうせあなたは俺の言うことなど聞かないでしょうから。だとしたら、同牀したほうが気が休まる」

「それは・・・ですが、私とあなたが、・・・同牀?」

「選ばせて差し上げましょう、俺の室と、あなたの室。どちらでもたいして変わりはありませんが」

黙ってしまった諸葛亮の手を、趙雲が取る。
やんわりとした触れ方は、この武人らしい配慮に溢れていたが、諸葛亮の手を引いて歩みながら趙雲はまたあくびした。
よほど、眠いのだろう。
これ以上逆らうのは得策ではない気がした。
諸葛亮は趙雲に恩がある。
劉軍に入ったばかりで、いまだに孤立する諸葛亮の護衛についているのが趙雲だ。
その卓越した武技に、公平な態度に、思慮と勇敢さに、どれほど助けられているか分からない。

黙って付いていくと、辿りついたのは自分の室ではなかった。
ということは趙雲の室なのだろう。
はじめてだった。場所さえも知らなかったのだ。

趙雲が言ったとおり、城内に与えられた諸葛亮の室と造りは変わらない。
ただ書が多く置いてある諸葛亮の部屋とはまったく違った。
ほとんど何もない部屋だったが、武具などがすこし置いてある。椅子にかかった肩衣などもいかにも武人の室を思わせた。

もの珍しく見回していると、趙雲に腕を引かれた。
いきなり帯を解かれて諸葛亮は息を呑む。
その戸惑いに斟酌せず、趙雲は無造作に帯を抜き、重厚な織りの長袍を薄身の肩からはずした。内衣も剥かれ言葉もなく立ち尽くしていると、薄衣一枚になった肩を押された。

逆らわずに諸葛亮は寝台にのぼった。
すぐに趙雲も隣にすべりこんできて、場所をあけるように諸葛亮は奥へと身体をずらした。
今しがたまで趙雲が横たわっていたのだろう、寝所はほのあたたかく、そして趙雲の気配が濃厚に残っていた。しわの寄った寝具が、あたたかくなよやかに膚に絡む。

横たわったとたん、趙雲は目を閉じた。
即座に聞こえる、寝息。
良くないことをしたな、とおもう。
夜中にふらふらと出歩いたせいで、起こしてしまった。

精悍な印象のある寝顔を見るともなく見て、諸葛亮はどきりとする。
胸もとが寝乱れ、肌蹴ていた。かたく鍛え上げられた武人の肉体が目の前にさらされている。
不穏な鼓動を打つ胸元を引き寄せた掛け布の上からおさえる。
なぜ、男の肌蹴た胸などを見て鼓動が上がるのか。
私にそんな趣味はない、と強く自分に言い聞かせる。
もしもそんな趣味が片鱗でもあったとしたら、むくつけき頑強な肉体を誇る男たちばかりで構成された陣営なのだ、やっていけるわけがない。
それにしても、・・・・・なんと顔の良い男なのか。


諸葛亮は隣の男の寝顔から視線をはずし、おとなしく横たわる。
褥はあたたかく、昂ぶっていた神経がやわらかく緩むのがわかった。
漠然と抱えていた不安も焦燥も姿を消した。あたたかさと、何より武人の持つ気配によって。

戦乱は終わる。未来はきっとある。
其処にいたるまでの道をともに歩める仲間がいる。
なんと幸せなことではないか。

この男を主騎にあたえてくれた主君に感謝しながら、諸葛亮は目を閉じた。



(2014/6/14)

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