いろいろと誤解です  趙孔(私設)

 


さすがに三徹目ともなると頭の回転に少々の鈍りが出てきはじめたので、ちょっと仮眠でも取ろうかなと、目をこすりながら寝台に寄っていくと、そこには大量の書物が整然と積みあがっていた。
ああそうか法に関する書籍の置き場所がなかったから、積み上げておいたんだっけ。あれをどかすのは骨だし、そもそも避け場所がない。
寝台じゃなくともいいや、長椅子で身体を休めようと思ったら、そこには荊州の地図が広がっていた。
地図くらいならすぐどかせられると気を取り直したのだが、大きな地図にシワを寄せないようにそっと取りのけようとしたら、その下から出てきたのは新兵器の設計図。ああそういえばこれもやりかけのままだな・・・と手を伸ばしたらその下には新兵器の試作品が置いてあった、組み立て途中の状態で。
細かい螺子やらバネがわりの皮革やらがばらばらと散らばっていて、ひとつひとつをどこかに移動させるという気力は、残念だけどちょっと沸いてこない。

寝台も駄目、長椅子も駄目というなら、あとの睡眠場所の候補といったら床か椅子か。
控えめなあくびをした諸葛亮はふらりと自室の扉から出ていった。





日が暮れはじめた時分であった。
武官らの調練はとうに終わり、文官も執務をおしまいにする時間だ。
夜警の任務につく将兵らが夕飯をかっ食らい、満たされた腹をさすりながら今夜の警備の場所取りなどで指示を飛ばし合い、非番の兵らは連れだって夕飯を取りに行く。
ありふれた一日の終わりだというのに、わいわいぎゃあぎゃあと騒がしく、劉軍の常として、過ぎるほどの活気にあふれた光景だ。

「陳将軍~~金貸してくださいっ」
「お、俺にもお願いしますっ」
若手の兵卒に拝み倒されて陳到は閉口する。将軍っていっても万年貧乏兵団の劉軍のこと、潤沢な俸禄などもらっているはずもない。
「なにに使うんだ?」
「女買いにっっっ!!!」
清々しいほどに良い返答である。一片のためらいも恥じらいもない。陳到はこめかみに青筋を立てた。
「っふざっけんなよ、お前ら!!そんな金俺も欲しいわ!」
「えええ~~陳将軍はいいじゃないですか、奥義があるでしょ女にモテる!」
「そうですよオレら見込みなしなんですから」
「はあ!?いつ俺が女にモテたよ!?」
陳到は女にモテたことなど皆無とは言わんが、ほとんど無い。

「だって、なあ」
「おうよ、なあ」
兵卒らは目と目を見交わしてぺろっと吐いた。
「だって陳将軍、趙将軍と一緒に酒場とか行くんでしょ?」
「めっちゃモテんじゃないですか?」
「つかオレ、見ました、趙将軍と西の街の酒場行ってたの」
「めっちゃモテてましたよね」

「くそっ思い出させんなっ!モテんのは子龍だけだ!あ、あのヤロー面倒くさい女ども俺に押し付けて一番美人とどっかしけこみやがったんだぜ!」

おおーと兵らは感嘆と羨望の歓声を上げた。
「いーじゃないですか!」
「おいしいじゃねえですか!オレらも押し付けられてみてー」
「良くねえよっ!趙雲様じゃなきゃ興味ないわーっつってその場で解散しやがったんだぜ、あの女ども!」
思い出しても腹が立って陳到はケッと息を吐く。
まあもっとも、囲んでいたのは町一番の高級妓楼の女たちだ。給料をつぎ込んでものすごく無理をすれば一夜の夢を買えないことはないが、すっからかんになってしまう。

趙雲の給料でも同じだろうが、そこはそれ、美男は得というやつなのだろう。
だが、あの時の趙雲はちょっと変だった。
どっかにしけこんだのかと思いきや、すぐに衣服も表情もまったく乱れていない状態で戻ってきたのだ。

「あーあ、さすが趙将軍だよなー知ってます?麗麗(れいれい)ちゃんが趙将軍にふられたの」
「なんだその麗麗ちゃんて」
「すっげえ可愛い歌い手さんっす!!」
「めっちゃ美人可愛いのに気取ってなくて、オレら下っ端にも優しい女神みたいなコなんです!」
「どんな権力者にもなびかないって超有名な歌姫っス!ついた二つ名が自由の小鳥!」
「なのに、趙将軍には『あなたに飼われてみたい』って言ったそうなんすよ!」

陳到にも初耳な話だ。しかしまあ趙雲と歌い手――なんだその『自由の小鳥』ちゃん?
なんかめちゃ似合わん。
失笑ものだ。
ぶっふぅと吹き出した陳到はこれでも噂話は早いほうだ。耳ざとい将軍すら知らないネタを披露し、しかも笑いを取ったのを嬉しがって、兵らは更に調子に乗った。

「趙将軍、『断る』の一言で振ったらしいんですけど、麗麗ちゃんはあきらめきれなくて、巡業の合間にちょくちょく趙将軍のトコ来てるらしいっす」
「しっかし麗麗ちゃん振るなんてな~くぅ~~」
「あの人の美的感覚、いったいどうなってるんですか」
「知らんわ、俺が聞きたい」

「まあ、軍師様と毎日いちゃいちゃしてるから、歌姫の相手するヒマないですよね」
「すごいもんな趙将軍。遠征とかから帰るたびに武装も解かずに軍師府にすっとんでくもんな」
「あ~趙将軍隠す気ないもんな。しょっちゅうお互いの部屋で寝てるし廊下とかで見つめ合ってるし」

「あ~もううるせえお前ら。街行って酒でも飲んで来い」
さすがに親友をネタにした艶話、しかも男同士のあれこれを聞くのが面倒くさくなった陳到は、小銭を投げてやって若手の兵たちから背を向けた。女を買うには足らないだろうが、数人で安酒くらい飲めるだろう。
劉軍は主君である劉備はじめ関羽、張飛、趙雲といった有力将軍も、女性に対しては淡泊なほうだ。
そのせいか末端の兵卒も女は好きだが、ほかの軍らと違って女性に乱暴することはあまりないし、したら厳罰に処せられる。
街で飲んだくれて民に迷惑をかけることはなかろう。

「うぉぉおおお将軍!ありがとうございます!」
「付いていきます一生!」
「やっすいなお前らの一生!もういいからさっさと行ってこい」

やっと新兵を追い払って本業の夜警につきながら、陳到はふと首をかしげる。
趙雲と歌姫ちゃんは似合わんと思うが、だったら趙雲とあの軍師は似合うのかと考えてしまったのだ。
趙雲は武に優れ、性根も良い男であることは間違いのだが、付き合いの古い陳到から見ても摩訶不思議な男でもある。
行動原理は単純明快で、さして複雑なところのない男なのに、なにかしらにつけ陳到の度肝を抜くようなことをやってくれるのだ。それもわりと頻繁に。

「趙雲と軍師・・趙雲と軍師なぁうーーん」
どうということもないのだが、陳到的にはちょっと釈然としないものがある。
まあ別に恋愛なんぞ好きにすればよいのだが。時勢的にも、いつ死ぬか分からないのだし。

陳到のその夜の警護の場所は、通用門の真上だった。
街へ遊びに行った兵士が帰ってき、また出ていく兵らがすれ違う場所だ。
それにしてもわいわいぎゃあぎゃあと騒々しい。


「今晩、西の町の酒場で麗麗ちゃんが歌ってるらしいぞ!」
「趙将軍と接触したらしいぜ」
「二人でどっか消えたってよ」
「と思ったら数分で戻ってきたんだって?」
「また振ったのかよ趙将軍」
「麗麗ちゃんかわいそ~~オレがなぐさめてあげたい!」
「お前じゃダメだろ」
「なんで?どこが?」
「顔も腕も駄目駄目だバーカ!」


本当にうっるせえ奴らだなオイ・・・
心底から呆れるが、まだ宵の口で、騒いで邪魔になる時刻でもないので、注意して黙らせるほどでもない。

しっかしこれだけ事細かく目撃証言が上がるとはどんだけ目立ってるんだ子龍(と麗麗ちゃん)。
趙雲は上からも下からも信望は厚いが、あまり人とつるむほうではない。一人で街に飲みにでも行っているのだろうか。
陳到はまったく軍師とは親しくないが、あの軍師は趙雲にけっこう頼っているように見える。信頼しているのは間違いないだろう。

歌姫ちゃんと浮名を流している場合じゃないと思うのだが。
神経質な感じもするし、わりと気にしぃなんじゃないのかあの軍師は。
「恋人泣かせんなよ子龍」と考えて、何考えてるんだ俺は、と自分で自分に突っ込む。

趙雲に恋人っていうところが、どうも陳到にはうまく飲みこめない。
だがまあ、歌姫ちゃんのことはきっぱり振っているということだし、陳到が口を出すことでもないのだが。

気を張る夜の警護役とはいえ、これだけ自軍の兵卒がうろうろしている時間は陳到もあまり集中できず、ついどうでもよいことを考えてしまう。

通用門は門限がある。門が閉まる時間はまだ先で、兵卒の出入りがもっとも激しい時間帯のせいか、まとまった数の兵が通り過ぎる。
しかもどいつもこいつもが、呆れるほどおしゃべりなのだ。

「しっかし趙将軍、けっこう酒場とか好きだよな」
「あーうん。わりと居るなぁ」
「すっげえモテてるよな、どこいっても」
「しっかしさー趙将軍がどっかの女と浮名流したりしてさー、軍師様キレちゃったりしたらやばくね?」
「あー・・・・・・泣いちゃったり?」
「いやー・・・さすがにないんじゃねえかそれは。やだぜオレ、軍の幹部の修羅場とか!」


俺だってイヤだよ、そんな軍。
いいかげん陳到もうんざりして城門上の見張り台から身を乗り出し、声を張り上げた。
「うるっせえぞ、てめえら!軍の幹部のくっだらねえウワサべらべらしゃべってんじゃねえ!張り飛ばすぞ!!」


一瞬押し黙った下っ端の兵らはぐるぐる周囲を見回し、物見台で仁王立つ陳到を見つけると、平伏せんばかりに敬礼した。
「うわぁー陳将軍!?すんません!」
「とっとと行け」
陳到がすごむと「もう言いませ~ん!」などと叫びながら脱兎のごとく駆け出してゆく。

劉備、関羽、張飛が貫禄十分の壮年であるため、その下の世代で、突出した武で兵をまとめる趙雲が若い兵らのウワサになりやすいのはしょうがないのだが。

「ったく人気ありすぎだ子龍」
舌打ちしながら、矛を構えなおす。あの存在感ありすぎな軍師殿もな、と陳到はなにげなく軍師府に視線をやって、軽く目を見張った。
ここ数日、夜通し明かりが消えることのなかったそこは、今夜は暗かった。

 






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(2016/10/14)

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