夏空~虹の向こう側  趙孔(私設)

 


天然な姫と女たらしの騎士で5題 http://toy.ohuda.com/

01:どこまで本気?  ・・・本気になんてなりたくない






「主騎が、ついたのですが」
「たいしたご出世だ、乾杯」
友はくつくつと笑って酒杯を掲げ、豪快な仕草でひと息に飲んだ。
「からかわないでください、士元」
誠意のない応対に嘆息しつつ、孔明も酒を含む。
「徐庶がああいうことになったから、まぁ、しょうがない。劉備殿にしたって、三顧までして射止めた臥竜を、くだらない横やりで失いたくはないんだろうよ」
「そうですかね・・」
主騎とは貴人を警護する護衛武官。
その主騎というものが無位無官の農夫であった自分に付けられたのは意外だったし、またその主騎というのが、――
「どんな主騎なんだよ。孔明にため息つかせるくらいだ、一筋縄じゃいかないヤツなんだろ?」
「・・・そう、ですね」
江南産の高級な酒を水のようにがばがば飲んでいた龐士元は、手で顔を覆ってしまった友の様子に、きょとんとして手を止めた。
「話すと長くなります」
「分かってるよ、そんなこと」
人付き合いが悪い孔明からの突然の呼び出し。それも出仕直後のことだ。愚痴か相談か情報収集か、またはそれ全部に決まっている。
「で、どんなヤツ?そもそも誰」
「趙・・・子龍殿」
「へえ!」
「知っているのですか、士元」
「まあ一応。有名人だ、荊州じゃあ」
士元は指を上げて給仕を呼んで新しい酒と料理を注文し、椅子にもたれかかって友人を見た。
友人はといえば、端整きわまりない涼やかな容貌の眉を下げ、惑うように唇の前で手のひらを合わせている。

「趙子龍かあ」
劉備の家臣の中では若手であるが、際立った武技で知られる将である。
性情は実直にして豪胆、騎乗で槍を使えばそれは勇敢な戦ぶりであるそうだ。その軍才により、劉軍では騎馬隊を率いる。
実績も人望もそなえた武将が、なんの戦歴もない、農夫とも書生ともつかない暮らしをしてきた年若い文人の警護とは。

「なんていうか、劉備殿の執着が露骨にあらわれた人事だねえ。ずいぶんと期待されてるんじゃないか、孔明は」
頬杖をついた士元がからかうと、孔明はひそやかに眉を寄せ、ぐいっとひといきに酒杯を干す。
おやおや、これは相当に・・・何かが溜まっているとみえる。

しばらくあたりさわりのない愚痴だの情報交換が続いたが、中ぶりの酒壷が2つほど空いたところで、孔明が切り出した。

「趙子龍殿って、その・・・・女好きとか、女泣かせとか、っていうの・・・本当でしょうか」

あ、これが今日の本題?
士元は目を丸くした。
ええ、そこ?

「いやぁ・・・そういうウワサはあるけれど。実際に女好きかどうかなんて、当人にしか分からないよ」
「うわさだけでも、教えてくれたら助かります」
「ええと・・・」
士元は口ごもって、肩をすくめた。
「本人が女好きかどうかなんて、知らないし分からない。でも聞く限りじゃ、彼が女を好きっていうより、女が彼のことを好きなんじゃないの?女の方が放っておかない感じじゃないか。美男なんだろ、彼」

話を振ったくせにむっつり黙り込んで視線さえも向けやしない孔明に、士元はどぼどぼと酒を注いで飲み干し、孔明にも注いだ。
孔明もぐいっと飲み干す。やけになったみたいに。
「孔明、大丈夫なのか。わりと強い酒なんだぞ」
案の定、飲み干してずるずると卓にしずみこむ。普段の孔明は酔いつぶれるような飲み方はしないので、珍しい光景だった。
「女好きかは分からないけど、結構女を泣かせてるみたいだよねえ、彼。話半分の噂だとしてもすべて嘘じゃないだろ」

「そう、よかった」
「ん?」
「よかった。そうですか。本当に女好きなんですね、趙将軍。よかった」
「んん?」
・・・なんの、話だ。
「好き、・・かもしれないんです」
「んんん?」
どういうこと?
「誰が、誰を、好きだって?」
「・・・・・・・」
つぶやきは、もううわ言だか寝言みたいなものだった。
「えっ」
それでも士元を驚かすには十分な威力を持っていた。

孔明が、趙子龍を。好き・・・・

酒を吹き出さなかった自分をほめてやりたい。
「ほ、本気なのか、孔明」
「分かりません。違っていたら、いいとおもいます」
「いやあ・・・そもそも、どういう好きなんだ。おれも酒と同じくらい孔明を好きだけど」
ごくり、と士元は喉を鳴らし、おそるおそるささやいた。
「孔明。まさか、その、趙子龍殿と、その、ええと・・・やっちゃったのか?」
「馬鹿なことを、士元、なんてことを言うんですか。してるはずない、でしょう」
「あーー、うん、そうか」
「していません。なにも。なにもないのですが、でも、」
「でも?」
「すごく、傍に、います・・・城内はさほどでもないですが、・・城外に出ると、もう、なんだか・・・すごく、近い。近くて、・・・わけが分からないのです」
「はっはあ」
「士元」
「んー?」
水を置いてやると、うっすらと目を開けた。
見事な黒い双眸。聡明で、理知的で、静かな水をたたえた湖面のような。でもその水底は揺れてもいる。
「どうしたものでしょうか」
「さあねえ。孔明のしたいようにするしか、ないんじゃないの」
「・・・したいように」
「うん」

「新野城は、書庫がないのです」
「ふぅん?」
唐突な話題の転換に士元は首をかしげて、新しい酒壷の封を切った。

「城下にもろくな書物が揃ってない・・・がっかりしていたら、主公にも内緒でいっしょに抜け出して、南陽まで行ってくれたんです・・・愛馬に、乗せていただいて」
「へえ」
つまみを適当に口に放り込んだ士元はもくもく咀嚼しながら、酔っ払いの話を聞いた。

「約束の時間をはるかに過ぎても、私は夢中でめぼしい書物をあさってたんですけど、・・・黙って待っていてくれて・・・」
「ふうん」
「帰り、もう暗くなってたけど、また馬に乗せてくれて。・・・とても乗馬がうまいのですよ、趙将軍は」
「そりゃあ、騎馬隊の隊長で、馬上で槍振り回して戦うんだからねえ」
「それで、寒いでしょうとか言って自分の肩衣を外して着せかけてくれて・・・なんでしょうか、その、だ、抱き寄せ・・られて・・」
「うぁーお。なんって、男前」
頬杖をつき、棒読みで士元は言った。
ふぅぅん、馬上でそれって、すっごくえろい感じするのは気のせいか。何しくさってる趙子龍。
「ええ」
わお、そこ迷いなく肯定するんだ。
「男前、なのでしょうね・・あの方は」
しゅんとした様子に、士元は片方の眉を上げた。
「なにか問題なのか、孔明には」
「問題ではないはずなのです。まったくのところ。主騎がどんな顔をしてようが、どうでも良い、筈。なのですが――」

どうでもいいはずなのに、どうでもよくない。それは、何故なのか。答えは出ているのに、その答えに納得がいかない、そういう様子だ。

「私は、人を好きになんて、なりたくありません、士元。まして、ご主君に仕える家臣同士」

言葉は聡明。ろれつもおかしくはない。
というのに力尽きたように卓に突っ伏して、最後のつぶやきをこぼした。

「・・・・ああ、でも良かったです。やっぱり女好きなんですね、趙将軍。・・・じゃあ、私がもし本気に・・・なっても、・・・両想いは、無いですね・・・良かった」

完全に、寝息になった。
その後、酔いつぶれてしまった友人を、料亭の主人といっしょに寝床に運んだ。
ここは襄陽にいくつかある士元の御用達のひとつで、酒の種類と質が良い上に、料理屋の離れが宿になっているという、潰れるまで飲み続けても大丈夫な店なのだ。

両想いは、無いんだ、良かった・・・――なんてねえ。
「切ない事、言うなよ、孔明」
始まらなければ、終わりもない。それが誰ひとり傷つかず何も失わない最良の方法だとでも、いうのかな。

「しっかし。仕官した途端に、コレかぁ」
古い友人を代表して言わせてもらえば。
趙子龍、お前、何してくれてんの。

友人一同(と、彼の弟君)が涙ぐましい努力で守ってきたというのに。この智謀外見その他もろもろが人外に優れておりながら、色事に関してはかなりの天然ボケである臥竜の貞操を。

「あーああーあぁ・・・何だかな、放っておけないなー・・・・・おれも、そろそろ仕官するかな」
すうすうと寝息を立てて眠ってしまった白い龍を見下ろして、鳳の雛はふわあとあくびして伸びをした。

 






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(2019/10/5)

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