投果と宝玉 趙孔(無双) |
*無双設定とは名ばかりの月英さんの存在とか完全スルーのご都合設定。 投果と宝玉 女から男へ、果物を投げる。好意のあかしとして。 男から女に、宝玉を贈る。永遠の愛のあかしとして。 古代ではそれで求愛が成立し、婚姻に至ったという。 ***** 「趙将軍に縁談だってさ」 「またか?」 重い武器をいかにも慣れたように扱いつつ、軽口を言いかわす兵らが通り過ぎてゆく。城の警備兵はすべからく噂の主である将が率いている。主君の義兄弟は豪放豪胆に過ぎるゆえに細やかな配慮に欠けるせいなのか、城の警備、人の警護というような面倒事のだいたいは彼が引き受けているようだった。 「また断るんだろうな、どうせ」 「今度のは断れない筋だって聞いたけどな」 「そういったって、将軍はいつも断る」 「あれだけの武人が独り身なんてなあ」 「ま、しょうがないだろ」 「そうだなあ」 柱の影に身を隠しさらには白羽扇で表情を隠した孔明は、通り過ぎてゆく彼らの声を聞くともなしに聞いていた。 外回廊を歩き去る彼らの声が聞こえなくなってしばらくして息を吐き出し背を伸ばし、逆の方向へと歩き出す。 劉軍のなかにあって趙雲への縁談の噂話は、天候の話と同じくらい当たり前にあるものだった。 雨あられのように続いたかと思うと、しばらく止み、忘れた頃にまたぱらぱらと小雨が降るようにやってくる、というような。 そのすべてを知っているわけではないが、今回のはなしは孔明の耳にも入っていた。 断れない筋だと噂が流れているが、まったくその通りであることも。 そして断れない筋の話を、趙雲がすでに断っているということも、知っていた。 荊州劉家に連なる名流の一門の令嬢との縁談。それも、一人娘ゆえ婚姻の後は家門を継いでくれぬか、劉備に仕えたままで良いから、という破格の申し出だった。 婚儀が整っていれば、荊州牧劉表の急な病により微妙な関係になりかけている荊州劉家との盟約に、新たなきずなが生まれたであろうことは確かだった。 「諸葛亮?顔色がすぐれぬが、どうかしたか」 「・・・主公」 袖を上げて拱手のかたちをとり、深く低頭した。 「なにも、ございません」 「嘘を言うな。急に寒うなってきたからな、体調が整わぬのではないか?もう下がって休むと良い」 「いえ」 「そもそも、朝から晩までせわしなく働いておるのは、おぬしと、趙雲くらいなものだ。弱小の軍なのだから治めるべき領地があるわけでもなし、兵も少ないというのに、お前たちは本当によく働いてくれる・・・有り難いが、少々、堅物に過ぎるぞ」 朗らかに笑う主君の口から出た名に、心が波立つ。 確かにどこか不調かもしれない。 疲れているのだろうか、躰が重く、北風の冷たさが辛いほどに染み入って、気分が悪い。 「おいおい、そんなんで戦場になんか出れるのかよ、軍師ともあろうものがよぉ」 「これ、翼徳」 張飛の戯言に気分が暗くなる。いつもなら受け流せ、笑って反論できるであろうに、駄目だった。苛立ちが湧くばかりだ。 苛立つのはそれが正論だからだ。 こんなざまで、軍師として立てるのか。 「倒れられても迷惑だ。ほら、もう行っちまえよ」 肩を小突かれた。張飛にしてみればごく軽くに留めた力なのであろうが衝撃は重く、無様によろけることだけはこらえた孔明は一歩下がった。 「翼徳!」 みかねた劉備が声を荒げ、たしなめられた張飛は文官のひよわさを馬鹿にしたように鼻でせせら笑う。 「もう下がって休んではどうだ、諸葛亮。無理はするな」 慈愛あふれた主君の言葉に肩をすくめ、ひらりと羽扇をひるがえして叩頭する。 はい、それではと何食わぬ平静な声を装ってその場を辞した。 居室に帰り着いた軍師の薄く淡い色のくちびるからは、ほのかな嘆息がもれていた。 寝台に腰をおろして見回しても、粗雑に塗られた藁色の壁とささくれた木の床が目に入るばかり。こころをやわらげるものはない。 茶を煮る用具すらないのだった。 隆中の住まいでは家の周りに香りのよい食用の草花を植えていて、煮出して飲んだり、安い茶葉に混ぜて香りをつけたりして工夫して楽しんだ。 香草と水を入れた鍋を吊るして火にかけておけば、家じゅうがあたたかい湯気に満たされて芳しい香りが漂った。 自らが育てたものを収穫して味わうつつましい暮らしの、なんと豊かであったことか。 あの家は、人としてのささやかな倖せに満ちていた。 感傷がこみ上げて気が塞いだ。考えても栓のない事を思ってしまうのは、心が弱っているときだ。 自分で決めたことだ。後ろを振り返って何になる。後悔はするべきではない。悔いているわけではないが、なかなかに、――思うようにならないことばかりだ。 しばらく彫像のように虚ろにしていたが、そうしていても気分が滅入るばかりで身体を起こした。寒い。立ち上がると少々胸苦しかった。 廊下に出たところで小走りにやってきた者と行き合った。孔明を見て慌てて立ち止まった青年は、よほど急いできたのか息を切らし、顔を赤くしている。吐く息が白い。 「りゅ、劉備様にお申しつけられまして。軍師様のご様子を診に参りました・・!」 「医官なのですか」 「まだ見習いです」 へらりと笑った若者は、背に大きな薬箱を担いでいた。 「わたし相手にそのように気負わずともよいのですよ」 軍の総帥であり漢祖の血流をくむ劉備であるならばともかく。 風邪気味ではないかと劉備が心配して寄越した者だった。周りが歴戦のつわものばかりの中にあって白袍をまとう痩身がよほど弱々しく映るのか、劉備は少々過保護なところがある。 主君からの気遣いに少し心が上向いた。本当はこんな瑣末なことで心を揺らすべきではないのだが。 「少々肌寒く。寒気がするのです」 「悪寒、ですか。やはりお風邪の引き始めかもしれません。感冒に効く薬草を煎じますから」 「自分でできます」 気分転換にちょうど良い。この機に居室に小さな火炉を誂えたくもあった。 「えっご自分で?心得がおありなので?」 「ええ」 ぽかんとする表情があどけないほどに幼く見えて、孔明はゆるく笑った。 隆中のことを考えたせいだろうか、背だけは高いひょろりとした身体つきと愛嬌のある顔立ちが、弟に似ている気がした。 「得意なのですよ。住んでいた里では村人たちに薬草の採り方やら使いようを教えたものです」 厨房におもむき、携帯用の火炉と炭、水などをもらい受け、自室へと引き返した。医者見習いの青年がほてほてと付いてくる。 見習いの青年医がかついできた薬箱から選び出した幾種類かの薬草を計量し、調合を行い煎じてゆく。 こういう作業は得意である。無心になるにも考え事にもちょうど良い。 「うわぁ・・!おれより上手だなあ」 「ふふ・・」 大げさに驚いて目を丸くする青年に、孔明はやわらかい笑みをこぼした。 普段ならば兵卒と馴れ合うことは避けているのだが。弟と似ていると思うと、冷淡に扱うことができなかった。 仕事をとられてやることがない青年はそわそわとしていたが、やがてぼつぼつととりとめのない話をした。 20歳を数年過ぎているという年頃もまた、弟と同じだった。 食べていくのがやっとの寒村に生まれ、口減らしのために劉軍に参陣した。 「兵士になれば腹いっぱい食えるって聞いて。でもおれ、武芸の才能はからっきしなんですよぅ」 しょんぼりと肩を落とすので、丁寧な調薬をしながら孔明は返答した。 「わたしも、武芸はからっきしです」 「あははは!」 青年が膝を打って笑い転げる。 「軍師様はいいじゃないですか。なんでしたっけ、臥竜とかいう天下の才人なんでしょう」 一瞬手を止めた孔明はゆっくりと視線を手元に戻し、調薬を続けた。 「どうでしょうね・・学問はしましたが。さて、実戦で役にたつのかどうか。曹軍は大軍ですからね」 「あはは、負けたって軍師様のせいじゃないですって」 「勝敗を手中に収めるものこそ軍師と呼ばれるものでしょうに」 「いいじゃないですか負けたって。劉備様は漢祖のご末裔。百回負けても最後の一回勝って天下を取ったお人のご子孫じゃないですか」 「ふ・・」 今度は孔明が笑う番だった。 青年のあっけらかんとした物言いが、一の軍師という重責に耐える心労をやわらげた。 漢祖の子孫といっても弱小の軍団で流浪していて、それでも劉備は陣営の誰からも慕われている。 「軍師様って完璧主義なんでしょ」 小さな火炉を置いて炭を熾す青年が、悪戯っぽい笑みをこぼす。 兄上は完璧を求め過ぎますよ。そういえば弟――均にも言われたことがあった。 「たぶん賢すぎるんでしょうねぇ。おれなんてなーんにも持ってないから。なんか負けて当然って感じです」 「そうでしょうか。あなたは得がたい資質を持っているように思えますよ」 「へっ。資質?おれに?」 「あなたの明るさや物事を楽観的にとらえる思考は、誰でも持っているものではありません。医官は、なるほどあなたに向いているかもしれません」 「む、向いてます?おれ?一生見習いかと思ってたんですけど。おれ頭悪いけど、頑張れば医者になれますかね」 「なりたいならば、支援いたしますが」 「ええっ本当ですか。・・・・なんか軍師様って思ってたのと違うなあ」 「そうですか」 「もっと、その。冷たいようなお人かと」 「冷たい、かもしれませんよ」 「いえ。劉備様や趙雲様がとても大事にお守りしている方が、冷たいなんて、あるわけないですね」 つきん、と何故か胸奥に痛みがはしった。 調薬はどこでお習いになったのですか。お師匠はいらっしゃるのですか。薬草の見分け方って難しくて。なんで食べられる草と毒草って似てるんでしょうねえ。 隆中というところで。・・・医者もおりません田舎でしたので弟妹の怪我や風邪などを癒すために山にはいって薬草を採って・・・村の長老などに聞いて自然と習い覚えました。 隆中。良いところなのでしょうね。 そうですね。ええ。・・・そうでした。
(2021/5/1)
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