蒼天3 趙孔


用意された部屋は劉備の居室からほど近い、城内でも最奥に位置する一角にあった。
新野は戦闘用の砦で堅牢そのものであり、素朴というよりは粗野、心を和らげるような華美はいっさいない。
隆中の住まいは、室の真ん中に炉を切り、あたたかい空気が住居の中をめぐるようにしてあった。台所や浴室には井戸から水を引くからくりがしてあったりと孔明自身が工夫をこらし、居心地よく暮らせるようにしつらえていた。
寒々とした室に入ると、置いてきた我が家のぬくもりが思い出されて切なくなる。

立ち尽くす孔明の脇を、武人が通り過ぎた。
先に入り、まず窓を開けて外の様子を確かめている。板戸を下ろすと、室は暗闇になった。
持っていた手燭を卓に置き、孔明は寝所に腰をおろす。
そのあいだにも趙雲は居室の方の窓も確かめ、ひとつしかない戸口に戻り、扉の強度を確かめるようにがたがたと揺らしもした。

「しばらく起きておられるのですか」

燭台につぎつぎと灯をともす孔明の側まで戻ってきて、趙雲が問う。

「書を読もうとおもっております。私はあまり寝ない性質ですので。趙雲殿にはご心配なく、もう休まれてください。ご退出のあと、扉には鍵をかけておきましょう」

「今夜は、私が付きます」

一瞬、思考が凍りついた。

「少したてば、兵を選んであなたに付けましょう。しばらくは私が付きます。―――徐庶殿は武将として兵を率いていたこともあり、護衛というものは付けず、身辺に気を配ってもいなかった。そこを曹操に突かれたのです。殿は、同じ過ちを繰り返すまいと思っておられる」

そこまで言って趙雲は、言葉の出ない孔明にすこし顔を近づけた。反射的に身を引き、視線が合うことを拒む。

そらした視線の先で武装がおぼろげな灯に浮かんでいた。
もう深夜に近い時刻だというのに緩められることのない軍装と同様に、声は引き締まり、それでいて緊迫や気負いというものはない。

「慣れてください。いないものと思って下さって結構です。見せたくないものは誰しもありましょう。しかし、私には何を見られても良いと思って下さい。あなたの側で何を見聞きしても、死んでも、他言はいたしません。たとえ劉備様にでも」

「――・・・・付く、と言われますが」

やっと声を絞り出した孔明は、ぎこちなく室を見回す。
主君の室をそのまま小規模にしたようなつくりだった。
卓と椅子、書棚をしつらえた居間があり、続き部屋が寝所になっている。衣類を仕舞う箱などは、寝所のほうに置いてあった。

「趙将軍は、どちらでお休みなるのです」

口調から、しばらくは四六時中付いているのだと思われた。
気が遠くなりそうになりながら、目下の疑問を口に出す。
寝台は奥にひとつだけ。主君のところと同様に、なぜか一人用にしては広い。

趙雲はちらりと孔明を見たあと、居室を見回し、孔明に視線を返した。

「寝所の扉の外で、控えております。何事もなければ寝ておりますので、ご心配なく」

「扉の、外?」

孔明はそこへ目をやる。どう見ても木の床だ。薄い敷布が敷いてあるだけの。

「私は武人です。行軍中は石の上でも寝ます。―――言ったでしょう、居ないものとお思い下さい」

居ないものとして―――そんなことは百年経ってもおそらく無理だろう。

「では、これで。用があればお呼びください。お眠りになるのでしたら、灯の始末はお忘れなきよう」

返答のできぬうちに、黙礼をされ扉が閉まる。
しばらくそのままでいて、孔明はくずれるように寝所に伏した。
扉の向こうで金属が触れ合う音がして、びくりと身を起こす。

息を詰めて耳を澄ますと、続き部屋にいる武人が武具をはずしているようだった。
敵陣の只中であるというならともかく、自軍の城だ。警護とはいえ武具をつけたままでいる必要はないという判断なのだろう。何事もなければ眠っていると言っていた。

気の向かないまま持ち込んだ竹簡をたぐりよせる。開いても、まるで集中できなかった。
扉の向こうでぎしりと木がきしみ、床が沈んだ気配がした。
きっと、床に座るか横になったのだろう――・・・・・

息を吐き、書簡を手放す。
隣の室にいたのでは様子が見えない。だから余計に物音や気配を聞き取ろうと敏感になる。
孔明が彼の気配を感じるように、彼も孔明の気配を追うだろう。
ずっと書物を読んで起きていたのでは、彼が眠れないような気がした。

灯りを吹き消そうとして、孔明は寝台に目をやった。
足元に幾枚もの布団がたたまれている。どの季節にも対応できる四季分の寝具を置きっぱなしにしてあるようだ。
その中からもっとも厚みのある毛織りと薄い綿入れを取り上げ、寝台を下りた。

扉に向かい、開ける。

武人は扉のすぐ横の壁にもたれて座していた。
片膝を立て、その膝に頬杖をついている。くつろいだ姿勢なのかもしれないが、一本の芯のようなものが全身に通っていて、精悍な印象は変わらなかった。

「夜は、冷えるかもしれません。よろしければお使い下さい」

坐したまま振り仰いだ彼の顔を見もせず、たたんだ毛織りと綿入れを床に置いた。
身体にかけずとも、床に敷けばすこしは楽だろう。

「・・・・・おやすみなさい」

返事を待たずに扉を閉める。
寝台に戻り、灯りを吹き消して横になり、薄い布団を身体にかける。

徐庶に護衛がつかなかったのは頷ける。彼は腕っ節が強く、そこらの兵数人に囲まれたとて負けなかっただろう。また徐庶であるならば、劉備が寝所に幾晩も招いたからといって、妙な噂など立たなかったに違いない。
劉備の同衾好きは有名で、義兄弟の関羽、張飛など、若いときは連日一緒に寝ていたとも聞く。

弱いから、・・・・・

力も容姿も弱々しいからそんな噂の的になる。
警護の武人を木の床に坐して寝させるなんてことをさせているのも、己が弱いからなのだ。



赤い赤い炎、燃える街
弱い者は殺され奪われる。

「強く―――ならなければ・・・・・・」

布団にくるまり、自分の身体を抱きこむように丸まって目を閉じた。


 






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(2017/12/4)

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